連載「Camp Gear Note」
90年代以上のブームといわれているアウトドア。次々に新しいギアも生まれ、ファンには堪らない状況になっている。でも、そんなギアに関してどれほど知っているだろうか? 人気ブランドの個性と歴史、看板モデルの扱い方まで、徹底的に掘り下げる。
近年、圧倒的な支持を集めているキャンプブランドの筆頭といえば「スノーピーク」だが、歴史はイメージ以上に深く波乱万丈。
意外と知られていない、日本のアウトドアカルチャーへも強い影響を与えた同ブランドについて、執行役員 企画開発本部長 CPDOの林 良治さんに聞いた。
山を愛する創業者が自分用のギアを製作したのがはじまり
——昨年、創設60周年を迎えた「スノーピーク」。どういった道を歩んできたブランドなのか教えてください。前身である山井商店が1958年に立ち上がりました。創業者は前社長の山井幸雄。彼は東京生まれなんですが、第二次世界大戦で焼け出され、新潟県の三条市に。そこで家計を助けるため、金物卸問屋へ奉公に出ます。まだ15歳の頃です。
群馬県との境にそびえる谷川岳の一ノ倉沢を愛するクライマーに成長した山井は、燕三条で働く仲の良かった職人のひとりにハーケンの製作を依頼。売り物ではなく、自分で使うためのものです。気になる山道具があれば、彼はヨーロッパからギアを取り寄せていましたが、満足いかず自分で作ろうと思いついたわけです。
燕三条は腕の立つ職人ばかり。ハーケンだけでなく、登山靴用スパイクやハンマー、アイゼンなど、山井が欲したギアを見事に完成させました。「ユーザーとして自ら欲しいものをつくる」、今も弊社に流れるものづくりの精神は当時からあったのです。
登山ブームによってオリジナルのアイゼンが大ヒット
——金物問屋からいきなりアウトドアブランドに?いえ、当初は大工道具メインの問屋として独立を。ただ、同時に自分が考案、テストしたクライミングギアの販売もしていました。創業の2年前に日本隊がヒマラヤ山脈マナスルの初登頂に成功したのをきっかけに、当時の日本は空前の登山ブーム。
山井商店発の高品質な山道具は大ヒットし、特にアイゼンが評判となりました。そして、1963年に「スノーピーク」の名を商標登録し、山井商店は全国に販路を拡大させていきます。
——そのまま順調に成長したのですか?’76年には卸問屋としては異例の自社工場を設立。好調のようでしたが、登山ブームに陰りが見えはじめ、稼ぎ頭であるアイゼンの売り上げは急激に落ち込みました。取引先の登山専門店も次々と倒産。釣り具に進出してなんとか命脈を保ちましたが、苦しい状況だったのは間違いありません。
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