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2019.08.31

あそぶ

スノーピークがビッグネームになるまでの軌跡。創業以来2回の危機とは?

連載「Camp Gear Note」
90年代以上のブームといわれているアウトドア。次々に新しいギアも生まれ、ファンには堪らない状況になっている。でも、そんなギアに関してどれほど知っているだろうか? 人気ブランドの個性と歴史、看板モデルの扱い方まで、徹底的に掘り下げる。
ロゴ
近年、圧倒的な支持を集めているキャンプブランドの筆頭といえば「スノーピーク」だが、歴史はイメージ以上に深く波乱万丈。
意外と知られていない、日本のアウトドアカルチャーへも強い影響を与えた同ブランドについて、執行役員 企画開発本部長 CPDOの林 良治さんに聞いた。

山を愛する創業者が自分用のギアを製作したのがはじまり

林さん
CPDOを務める林さんは入社12年目。前職時代からキャンプに親しむ、スノーピークユーザーであった。
——昨年、創設60周年を迎えた「スノーピーク」。どういった道を歩んできたブランドなのか教えてください。
前身である山井商店が1958年に立ち上がりました。創業者は前社長の山井幸雄。彼は東京生まれなんですが、第二次世界大戦で焼け出され、新潟県の三条市に。そこで家計を助けるため、金物卸問屋へ奉公に出ます。まだ15歳の頃です。
創業者・山井幸雄さん 写真提供:スノーピーク
創業者・山井幸雄さん 写真提供:スノーピーク
群馬県との境にそびえる谷川岳の一ノ倉沢を愛するクライマーに成長した山井は、燕三条で働く仲の良かった職人のひとりにハーケンの製作を依頼。売り物ではなく、自分で使うためのものです。気になる山道具があれば、彼はヨーロッパからギアを取り寄せていましたが、満足いかず自分で作ろうと思いついたわけです。
燕三条は腕の立つ職人ばかり。ハーケンだけでなく、登山靴用スパイクやハンマー、アイゼンなど、山井が欲したギアを見事に完成させました。「ユーザーとして自ら欲しいものをつくる」、今も弊社に流れるものづくりの精神は当時からあったのです。

登山ブームによってオリジナルのアイゼンが大ヒット

林さん
雪道を安全に進むために欠かせないアイゼンが大ヒット。職人たちの手打ち鍛造では追いつかなくなり、後には燕三条の鍛造の機械技術を使って量産体制を整えた。
——金物問屋からいきなりアウトドアブランドに?
山井商店
写真提供:スノーピーク
いえ、当初は大工道具メインの問屋として独立を。ただ、同時に自分が考案、テストしたクライミングギアの販売もしていました。創業の2年前に日本隊がヒマラヤ山脈マナスルの初登頂に成功したのをきっかけに、当時の日本は空前の登山ブーム。
アイゼン
写真提供:スノーピーク
山井商店発の高品質な山道具は大ヒットし、特にアイゼンが評判となりました。そして、1963年に「スノーピーク」の名を商標登録し、山井商店は全国に販路を拡大させていきます。
——そのまま順調に成長したのですか?
’76年には卸問屋としては異例の自社工場を設立。好調のようでしたが、登山ブームに陰りが見えはじめ、稼ぎ頭であるアイゼンの売り上げは急激に落ち込みました。取引先の登山専門店も次々と倒産。釣り具に進出してなんとか命脈を保ちましたが、苦しい状況だったのは間違いありません。
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いち早くオートキャンプのスタイルを提案

カタログ
2018年カタログに掲載された山井父子。「キャンプの魅力を理解させるため、現社長・山井 太は父親を度々フィールドへ連れ出したそうです」。
——今や日本を代表するアウトドアブランドに。どうやって復活したのでしょう?
転機は現社長・山井 太の入社によるキャンプ事業のスタートだと思います。アメリカに留学経験のある彼は、本場のキャンプ文化に触れて深い感銘を受けました。ですから、新規事業のアイデアとして父親の山井幸雄に提案したのがオートキャンプ。
東京オリンピック以降、自動車の普及はすさまじく、’80年代後半になるとアウトドア向けSUVを見かけるのも珍しくなくなりました。でも、街乗りでしか使われていない。オートキャンプならSUVの用途にマッチする! 社会に受け入れられる自信があったようです。しかし、どんなにプレゼンしても肝心の父親からGOサインが出ない。最終的には見込み顧客から注文書を集めて提出。受注額を確定させることで納得させたそうです。
——オートキャンプ事業は大成功したのですね!
スノーピークが提案したキャンプは、自然の中で豊かに贅沢な時間を過ごすこと。トレーニングや教育の意味合いが強く、レジャー要素の薄い過去のキャンプとは大きく違います。時は’90年前後。好景気真っ最中の日本は、お金を趣味に使う余裕があり、新しいアウトドアスタイルは多くの人から支持されるように。スノーピークのギアは飛ぶように売れ、第一次キャンプブームで強い存在感を示せました。
オートキャンプブーム
第一次キャンプブーム当時の様子 写真提供:スノーピーク

キャンプブームの終焉で訪れたピンチを乗り越え

林さん
10年前は今ほど名前が浸透していなかったスノーピーク。林さん自身、長いこと海外ブランドだと勘違いしていた。
——山井商店からスノーピークと社名を変えたのはその頃ですか?
「スノーピーク」になったのは1996年。山井 太の社長就任と同時に変更しました。この年が日本のオートキャンプブームの最盛期とされ、翌年から恐ろしいスピードで市場の縮小が始まります。キャンプ場の閉鎖が相次ぎ、アウトドア関連の雑誌もほとんどが廃刊。弊社は再び苦境に陥りました。
——しかし、乗り越えたから今があるわけですよね?
2000年頃まで冬の時代は続き、多くの改革が実行されました。ユーザーと繋がるためにイベントを開催し、使用者の声を直接聞く。問屋との取引中止によって流通コストをカット。販売網は絞り込んで、扱い店舗の品揃えを充実させる。釣り具部門を売却し、アウトドアに注力などなど……。
結果、徐々に業績は回復し、今ではどのキャンプ場でもスノーピークのロゴが見られるように。でも、10年前はまだニッチでしたね。海外ブランドだと思っている方も多かった。僕ですら自分で使って初めて国産だと知りましたから(笑)。

自然の中に身を置くと人間性が回復する

林さん
「都市に暮らす人ほど、アウトドアへの欲求は強いはずです。外に出る機会をスノーピークが作り出せればと思います」。
——今後、リーディングカンパニーとして目指すのはどこですか?
日本は豊かな国ですが、いつも慌ただしくて疲れている印象です。だからこそ、自然の中に出て、人間性を回復していただきたい。外に出るきっかけのひとつがギア。カッコいい、集めたい、動機はなんでも構いません。手にとって使ってみたい、フィールドで試してみたい、スノーピークのアイテムが外へ飛び出す欲求を生み出す存在になれれば素敵ですね。
 
平安名栄一=写真 金井幸男=取材・文

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