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2025.04.07

あそぶ

藤原ヒロシが30年以上もスノーボードに魅了される理由。「Burton×フラグメント」の協業も本格始動で来季の雪山も楽しみだ!



太陽が顔を出した、春の陽気のある日。新潟県妙高市にある関温泉スキー場にふたりのスノーボーダーが姿を見せた。

ひとりはファッションや音楽など都会的カルチャーの中心人物で30年に及ぶスノーボード歴を持つ藤原ヒロシ。もうひとりは日本のスノーボードシーンを牽引したレジェンド、竹内正則さんを父に持つ次世代のホープ、竹内悠貴。

歳は親子ほどに離れながらも雪を滑る楽しさを共有する、彼らの心地良い滑りとトークのワンデイセッションから、雪山とふたりが愛用する「Burton(バートン)」の魅力を探ってみた。

雪山では年齢、職業は関係ない



——朝こそスピードが出たものの、春の陽気から早々に失速しやすい雪質に変わりました。3本で引き上げることになりましたが、普段はもっと滑っているんですか?

藤原ヒロシ(以下、藤原) 普段もこんな感じです。関温泉はだいたい3本かな。いつもゆっくり過ごしてますね。

竹内悠貴(以下、竹内) ヒロシさん、都内から妙高まで来ても、いつも午後にはいませんものね(笑)。



藤原 雪が良くても午後には帰ってるかな。ここでは朝もわりとスローで、朝イチを狙って滑るということはほぼありません。

まずは麓からペアリフトに乗って滑り、コース途中にあるレストランの「タウべ」まで滑ったら、そこに寄って「どうしようか」と一緒に来た友達と話をして。

スキー場のピークに行くシングルリフトが動いたら、それに乗って沢地形を楽しみに行く。帰りはちょっとしたツリーランを楽しみながら駐車場へ戻る。という感じです。



竹内 僕の地元・妙高エリアにある関温泉は、ボトムからのペアリフトと、中腹からのシングルリフトが1本ずつあるだけのコンパクトなスキー場なので、ローカルもあくせくせず、のんびり楽しんでます。

だいたいは午前中に数本滑って昼頃には終わり。ペアリフトをまわしてバンバン滑って、それでみんな満足。降雪があって雪深い日も同じリズムで、午後にローカルは誰もいません。午前中だけでお腹いっぱいになっちゃう。

藤原 じゃあ、僕もリズムはローカルですね。



——妙高エリアにはもうだいぶ長く通っていますよね。

藤原 シーズンを通して、ここに来るのがいちばん多いんじゃないかな。たいてい友達と3〜4時間かけて自走で来ます。雪が悪いからといって、すぐに帰ることもありません。知人に挨拶したり、ゲレンデの「タウべ」で談笑してから帰ったり。

関温泉スキー場内にあるレストラン「タウベ」。特にピザとパスタが絶品。

関温泉スキー場内にあるレストラン「タウベ」。特にピザとパスタが絶品。


竹内 ゲリラ的に出没しますよね。一緒に来る友人のインスタとかを見て、「あ、来るんだ」「今いるんだ」って思うこともありますし。でも東京の中心にオフィスを構えて、ファッションやカルチャー、アートなどのシーンに影響力を持つ人が関温泉に30年も通っているって、すごい不思議です。

藤原 ここでしか会わない知り合いもいっぱいいるからね。関温泉友達というか、ウェア以外の格好はさっぱりわからない人たち。シェフの私服を知らないのと同じで。

竹内 通い出したきっかけはなんですか?



藤原 当時、Burtonのトップライダーだったウエ(植村能成)くんとナル(吉村成史)くんと出会ったことかな。

1990年代のはじめにスノーボードを始めて、その頃は普通にゲレンデを滑っていたんだけど、3年くらいで飽きてしまって。腰が重くなりだしたときに2人と出会い、誘われたのが関温泉。

ここは斜面のほとんどが非圧雪でパウダーコースばかり。初めてバックカントリーみたいなスノーボードを経験したことでハマったんだよね。おそらく2人に出会わず、関温泉に来ていなかったら、あのままやめていたと思う。

関温泉スキー場は非圧雪エリアが多く、ハイシーズンには多くのパウダー好きがやって来る。

関温泉スキー場は非圧雪エリアが多く、ハイシーズンには多くのパウダー好きがやって来る。


竹内 じゃあウエさんとナルさんのおかげで、それまでと違うスノーボードと出会えたんですね。

藤原 そう。スノーボードそのものが楽しくなったし、ウエやナルたちとパウダーを滑って、その楽しさを共有できる感じが気持ちいいというか。

僕は東京でもそういうふうに生活しているんだけど、雪山ではみんながよりフラットな感覚になれて、年齢も職業も関係なくなっていく。

「いい雪を滑って楽しい」という、共有できるものがあるからなのかな。人と人とのコミュニケーションが取りやすくなる印象なんだよね。



竹内 音楽で言うとジャムセッションをしている感じなんですかね。

藤原 そうだね。近いと思うな。
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冬はスノーボード中心にスケジュール管理



竹内 妙高以外にも札幌や八甲田でもいい雪を滑っていますよね。一方で、仕事で海外にもよく行っているし、どうやってスケジュールを組んでいるんですか。

それだけ忙しいと、降雪は自然現象だから、なかなかいい雪を当てるのが難しい気がするんですけど。



藤原 僕のスケジュールは3人のスタッフが管理していて、その中の1人がスノーボード担当。彼女が毎年11月くらいになると、1月と2月を中心に予定をおさえてくれるんです。

1月の札幌でのBurtonの撮影と、ハルキくんのお父さん、レジェンドスノーボーダーの竹内正則さんがオペレーションする光ヶ原のキャットツアー、2月の青森・八甲田へのスノーボードトリップは必ず入る予定で、それ以外でも予定が空けば自分でふらりと妙高にきたり。

以前は11月からゴールデンウィーク頃まで滑っていたけど、雪の降り方が変わったものね。



竹内 本当にそうですよね。豪雪エリアで知られる妙高も、以前のように冬を通して降るというより、ドカッと一気に降ったかと思えば、暖かな陽気が続いたり天候が読めないところがあって。

昨シーズンは3月がいちばんいいコンディションでした。今年はどうだろう。春にあと1〜2回パウダーを滑れたらいいかな。

藤原ヒロシさんの愛用ギアはBurtonのステップオン。

藤原ヒロシさんの愛用ギアはBurtonのステップオン。


藤原 ハルキくんはやっぱり光ヶ原で滑ることが多いいの?

竹内 ほとんどそこですね。物心つく前からすでに父はキャットツアーをしていましたし、幼少期は光ヶ原に来てソリで雪遊びをしていました。

まわりにはプロをはじめ、上手いスノーボーダーがたくさんいたので、スノーボードもいつの間にか始めていて。父に何かを教えてもらった記憶はないし、いつも後を滑っていたというような。それで上達していったイメージです。

今はハイシーズンはガイドとしてお客さんを案内する忙しい冬を送っています。仕事が落ち着く3月以降は、スノーモービルを使いながら友達とセッションをしたり、撮影をして過ごすことが多いですね。



藤原 会うたびに上手くなっているものね。今は大会にもフォーカスしているんでしょう?

竹内 フリーライドの大会に出ています。手付かずの山の頂きから麓までを、どのようにライディングしていくのか総合滑走力を競うコンペティションで、今冬の日本では長野の白馬、新潟の妙高と湯沢で3戦が開催。全戦出場して、日本一になりました。

海外も8月のニュージーランド大会は毎年出ていますし、昨年12月には中国にも行きました。実はこのフリーライドの大会が2022年からFIS(国際スキー・スノーボード連盟)の傘下になって、近い将来、オリンピック種目化されるだろうという話もあるんです。

何より海外の大会に行くと山のスケールが日本と全然違って、いつも自分の未熟さを痛感します。父にアドバイスをもらいながら、スノーボーダーとしての経験値を積み上げています。
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