夏の西少年は日焼けで真っ黒。遊び場は常に海
実のところ西さんには経営者という顔もある。福島県双葉郡広野町に自身の会社「DREAM24」を構え、2つのレストラン「ニシズキッチン」と「くっちぃーな」を営むのだ。代表活動に帯同して各国へ渡航する際には、自社のスタッフに現場をまかせて飛び立ってきた。
出身はそこから車で1時間ほど北上したところに位置する南相馬市。太平洋に面し、田園風景の広がる自然豊かな海辺の地域で、茨城県境に近い勿来海水浴場(上の写真)をはじめ、小名浜、豊間、四倉、岩沢、北泉など多くの海水浴場やビーチが点在している。西さんも幼少期の夏は海で遊びまくった記憶があるという。
「小高い丘の上にある実家から村上海水浴場など市内の海までは自転車で行ける距離。小学生のときは、夏休みになると毎朝おにぎりを持って海に行っていました。日中は友達と一緒に泳いだり、波に揉まれて海の中を転げ回って大笑いしたり。
海から出ると砂浜で城作りや絵を描くことに夢中になって、夕方になるとハゼ釣りをしたり。暗くなるまで遊んでいましたね。夏が始まるとすぐに日焼けで真っ黒になっていました」。
中学生になると初日の出を見に行くのが恒例となり、さらに成長して進路に悩んだときなどにも海辺を歩いて未来を思い描いた。海はとても大切な存在だったといい、しかしその関係性は東日本大震災によって大きく変わってしまった。
「高校卒業後に東京で和食の研鑽を積んでいた時代、帰省の際には必ず海に行っていました。潮の香りにホッとしたし、つらいときには海を見ることでやる気を得たこともありました。
ただ震災で実家付近の集落は被災して全滅。以来、海には良いイメージを持てなくて、近づかなくなってしまいましたね……」。
そう言って西さんは視線を落とした。震災から11年が経過した今も、かつてのように親しみを込めて訪れることはできないのだという。その心象は、それまで「ガハハ」と笑っていた西さんの声音が沈み込んでいく様子にも表れていた。
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