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すでに日本語ラップに恋をしていた私は、ガチ反論を試みたくなった。しかも、私は当時、言語学者の卵であった。そちらが言語学的な分析を用いるのであれば、こちらも言語学的に反論しようじゃないか。

賢明な読者の方は、すでに上の日本語ラップdisの論理に穴があることに気づいたかもしれない。

そう、先に紹介した宇多丸さんやKICK THE CAN CREWの韻の例からもわかる通り、日本語ラップにおいて、合わせる母音は1つではなく、単語内の複数の母音を合わせている。

「母音が1つだけ合っていても」の前提部分が間違っているから、その論理は成り立たない。

しかし、それ以上の反駁を私は試みたかった。

理論的な意義を示してくれた恩師に出会う

そんな時、韻を分析する理論的な意義を示してくれた恩師に出会うことになった。言語学者の中には、詩の韻の分析を行う人もいる。

ちょうど私の尊敬するMIT(マサチューセッツ工科大学。現代の理論言語学が生まれた地であり、つねに理論言語学の発展をリードしている大学でもある) のDonca Steriadeという先生が、私の大学に来て、ルーマニア語の韻に関する講演をしてくれたのだ。

ルーマニア語では、小節末で合わせられる子音が同一でなくても、似たような子音であるなら許されるとのこと。しかも同じ傾向は英語やドイツ語、アイルランド語、ロシア語、トルコ語など世界各国の詩的表現で観察されるらしい。

ふむふむ、なるほど。では、日本語ラップで同様の現象が観察されてもおかしくはないのだね。そして、韻を分析するというのは言語学的にも意義のあることなのだね。

すっかりインスピレーションを頂いた私は、講演会後のパーティの際、「僕も日本語ラップの韻が気になっているんです」と伝えた。そうしたら、Doncaに「ちょっとやってみて」とラップを披露させられた。


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