当記事は「FLUX」の提供記事です。元記事はこちら。 サモアにルーツを持ち、幼少期からハワイで育ったラッパーのローさん。キャッチーなビートに地元のユーモアを交え、アーティストとして急成長を遂げているローさんは、地元を大いに賑わせている。
2021年2月、ローさんは、車の中でサプライズがお待ちかねだよ、と祖母に声を掛けた。
だが、孫のホンダ・シビックの助手席に飛び乗ったものの、普段と何ひとつ変わらないように思える。そこで21歳の孫がラジオをつけた。ちょうどその時、DJが「
コダック・モーメント」という曲を紹介した。
陽気さと懐かしさが漂うこの曲で、ローさんは最初のヴァースでラップを披露し、サビのフレーズを歌っている。最初に聴こえてくるのが彼の声で、続いてプロデューサーのダジュ、ギタリストのタイラー・ドノヴァン、ラッパーのコインズも登場する。
太陽の光を追いかけ、冗談っぽく戯れる、そんなありふれた時間を想起させる曲で、2コーラス目に入ると曲に合わせて口ずさみ、聴いたその日の夜には思わずハミングしてしまうだろう。参加したアーティスト全員にとって初のラジオヒット曲である。
「再生されたのを聴いた瞬間、これは大ヒットすると思いました」とローさんは語る。「ラジオでオンエアされても驚かなかったです」。
彼は驚かなかったかもしれない。だが、育ての親である祖母は当然びっくりしていた。「これ、あなたなの?」。車のスピーカーから流れる孫の声を聞いて祖母はたずねた。「なんとまあ!」。
まるで自分がラップをするように、ビートに合わせて手を動かし始めた彼女の顔には、輝くような笑顔が浮かんでいた。
ローさんのミュージックビデオをいくつも見たことがある人なら、この笑顔をご存じだろう。彼の笑顔と瓜ふたつなのだ。遺伝的なことを言っているだけではない。彼女こそ、ローさんの人生や性格にどのような影響を与えたかがわかる、映し鏡なのだ。
ローさんがマカハの小学校に通っていた頃、同級生をいじめて問題を起こしたことがある。そのとき、祖母は「人を笑顔にするような生き方をするほうがいいよ」と諭したという。
翌日から、彼はこの同級生を笑わせようと努力し、ふたりは親友になった。「いじめっ子になるよりずっと良かった」と話す。
ラップは、まともじゃなくていい。
ロー(マイロンの略)さんは1999年、カリフォルニア州の州都サクラメントで、サモア人の母と黒人の父との間に生まれた。幼い頃、両親が法的な問題を起こしたことで、彼と、ふたりのきょうだいは、祖父母に預けられた。
だが、子供たちを自宅へ連れて帰った祖父母は、すぐに、サモアのサバイイ島では子供たちの未来はほぼないことに気付いた。
子供たちはすでにアメリカのパスポートを持っていたので、アメリカで与えられた機会を大いに活かしつつも、サモアでの生活によく似ているとされるハワイへ、祖父母ともども一家で移住した。ローさんがわずか1歳の頃だ。
ローさんが子供の頃には、マカハ、マカキロシティ、ワイパフと転居を繰り返した。ハワイでは、とりわけ移民にとって金銭的な負担が大きく、祖父がアルツハイマー病で働けなくなると、その負担は計り知れないほど大きくなってしまった。退去を言い渡されること、家主が変わることは日常茶飯事となった。
とはいえ、どの家にいても音楽が絶えることがなかった。「母さん(ばあちゃん)は教会で聖歌隊を教えていました。サモア人はボーカルだと厳しいので、いつも地元の音楽やアメリカのポップミュージックを演奏していたんです」と振り返る。
「キャッチーでシンプルな曲を聴く。これってまさにサモア人の移民がやることですね」。
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