男には、単に「お気に入り」という枠に収まりきらない特別なスニーカーがある。
日本を代表するヒップホップ・アーティスト、AK-69さんも例外ではない。
前回の「スニーカー三番勝負」に続き、数多のスニーカーに足を通してきた彼が、なかでも特別な想いを抱く2足のスニーカーについて話を聞いた。
AK-69(エーケーシックスティナイン)●1978年生まれ、愛知県出身。17歳でヒップホップと出合い、2003年、Kalassy Nikoffとしてデビュー。「THE CARTEL FROM STREETS」「THE RED MAGIC」と2作のアルバムでゴールドディスクを獲得。2016年には伝説的レーベル「Def Jam Recordings」と契約を果たした。2020年には名古屋城、2022年には鈴鹿サーキットでの配信ライブを成功させるなど、ジャパニーズヒップホップシーンの先頭を走り続ける。これまでに4度成功させてきた武道館ライブを、4月23日(土)に再び開催する。
ヒップホップミュージシャン、AK-69の原点
今でこそ日本のヒップホップ界の“顔”に君臨するAK-69さんだが、当然、一朝一夕でその地位になったわけではない。無名時代は好きなスニーカーを気軽に買える余裕もなかったという。
「持っていたスニーカーに足を通しては、シュークリーナーできれいにしてまた履く、を繰り返す日々でしたね。とはいえ、拭いても拭いてもやっぱり履きジワや縫製の糸はなかなかきれいにならない。それで、泣く泣く買い換える……っていう時代を過ごしてました(笑)」。
最も苦楽をともにした一足こそ、ナイキのレザーコルテッツである。
「17歳でヒップホップと出合うのですが、よく履いていたのがこれ。僕の原点のような一足ですね。これを履き、ディッキーズのショーツにハイソックスを合わせる、みたいなスタイルが定番でした。
日本は、『NYはこんなスタイル』『ウエストコーストはこう』と、型にはめたがりますよね。良くないところではあると思うんですけど、僕も若かったから、ティンバーランドは履かないけどコンバースはOKみたいなところが昔はありました。これは当時、アメリカのギャングスタ・ラッパーに感化され、彼らを意識して買ったんです」。
やがて、アーティストとして活動していくAK-69さんだが、意外なことに、当初は音楽で生きていこう、成功してやろうといったギラギラとしたマインドを持ち合わせていなかったとか。
「そこまで深く考えてはいませんでしたよね。もうただただ純粋に好きでやっているだけ。でも、その気持ちってやっぱり大事だと思うんですよ。年を重ねるほど忘れがちになりますから。このモデルを見るたびに、原点回帰というか、初期衝動の頃の気持ちを思い出します。
僕はマニアではないので、手放したスニーカーも結構ありますけど、ナイキのこれだけはいつの時代も僕のワードローブに並んでいます」。
ちなみにこちらは、ファンがAK-69さんのためにナイキiDで作ってくれたもの。自身のルーツを思い起こさせる相棒であり、ファンの愛までも感じられる、まさに計り知れない価値のある一足なのだ。
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