OCEANS

SHARE

  1. トップ
  2. 「殴り合いだけでここまで来た」ホンダからフェラーリへ。井岡一翔の拳が掴んだ“ボクシングドリーム”

2025.12.28

「殴り合いだけでここまで来た」ホンダからフェラーリへ。井岡一翔の拳が掴んだ“ボクシングドリーム”


連載:俺のクルマと、アイツのクルマ
男にとって車は名刺代わり。だから、いい車に乗っている人に男は憧れる。じゃあ“いい車”のいいって何だ? その実態を探るため、数々の車好きに話を伺っていく企画。

【写真26点】「『殴り合いだけでここまで来た』ホンダからフェラーリへ。井岡一翔の拳が掴んだ“ボクシングドリーム”」の詳細を写真でチェック
advertisement

目黒の住宅街に静かに止まった「フェラーリ・ローマ(Ferrari ROMA)」。冬の光を浴びて際立つボディラインに思わず目を奪われる。



そのステアリングを握るのは、世界4階級制覇のレジェンドボクサー・井岡一翔さんだ。フェラーリの静謐さと、彼の落ち着いた雰囲気がマッチする。
advertisement

「なぜこの車を選んだのだろうか?」。 その思いを彼自身の言葉から紐解いていこう。



■71人目

井岡一翔さん(36歳)


井岡一翔(いおか・かずと)⚫︎1989年生まれ、大阪府出身。アマで北京五輪を目指すも代表決定戦で敗れ、大学を中退してプロ入り。デビューわずか7戦目で世界王座 を獲得し、平成生まれ初の世界王者となる。その後、WBC・WBA統一王座、日本人最速の 二階級制覇、さらに 三階級制覇、四階級制覇(日本人初)を達成。現在はバンタム級に階級を上げ、12月31日(水)・大田区総合体育館でのWBA世界同級 王座挑戦者決定戦で「マイケル・オルドスゴイッティ」に挑む。


井岡さんがこの車と出合ったのはライフステージが変わりはじめた頃。家族ができ、日々の過ごし方も、移動のスタイルも、少しずつ変化していった。

「車は好きでいろいろ乗ってきたんですけど、今は妻と2人の子供もいる。となると、どうしてもファミリーカーが必要になってきますよね」。

メルセデス・ベンツの「ゲレンデ」に乗っていた時期もあったが、いまでは妻も日常的にゲレンデを運転するようになり、“家族用”と“自分が乗りたい車”を分ける流れになっていった。



「僕が車を使うのは、ほとんどジムへの移動か自分の用事だけ。そう考えたら、大きさは求めなくていいなと。昔、ランボルギーニに乗っていたこともあったので、『久しぶりにスポーツカーに乗りたいな』と思ったのが購入のきっかけです」。
2/5

フェラーリ ROMA



3.9L V8ツインターボエンジンを搭載するFRクーペ。最高出力620ps、最大トルク760Nmを発揮し、0-100km/h加速は3.4秒、最高速度は320km/h超を誇る。8速DCTによる鋭いレスポンスと、優雅さを感じさせるデザインが融合したグランドツアラーだ。






井岡さんが特に気に入っているポイントは、ズバリ見た目だ。

「まずは外観とボディカラーですね。この白、ただの真っ白じゃなくて『ビアンコ』という“クリーム”っぽい色なんです」。




濃淡の異なるベージュを組み合わせたツートンカラーの上品な内装も印象的だ。

「濃いベージュも薄いベージュも好きなので、車の内装をどちらの色にしようか迷っていたんです。でもこの車は最初から理想的な配色が完成していた。見た瞬間に“コレだな”と思ったのでカスタムせず、オリジナルのままにしています」。



外観や内装だけではない。細部の造形にもフェラーリの完成度の高さを感じる。

「ホイールも何種類かあるんですけど、このデザインが一番好きで。外観とのバランスも完璧だなって感じました」。


3/5

フェラーリは音で乗る。井岡一翔の純正主義



ローマのエンジンの味わい方にも彼の流儀が表れている。

「僕、基本“純正派”なんですよ。マフラーを変えて音を大きくするより、メーカーが造ったナチュラルな音が好きで。フェラーリが本気で生んだエンジンのサウンドを、そのまま味わいたい。長く乗りたいタイプでもあるので、カスタムはほぼしないです」。



納車から約1年半で走行距離は5000km。都内近郊での足で使うことが多いとはいえ、車で過ごす時間は距離以上の意味を持っている。



「一人で運転しながら考えたり、気持ちを整えたり。目的地までの移動そのものが楽しいんですよね。練習へ向かう道中も気分が上がるし。運転が生活の一部で“リセットの時間”。すごく大切なひとときなんです」。
4/5

拳で変わっていく景色。車が教えてくれた成り上がりの実感



ボクサーとして成り上がっていく過程で、「いつかはいい車に」という欲が胸のどこかにあった。

「今は価値観も変わってきましたが……若い頃はその気持ちが強かったです」。



最初にランボルギーニやポルシェに触れた瞬間は、拳ひとつで成り上がってきた男にとって、現実がひっくり返るような衝撃だったという。大阪で過ごした幼少期の景色は変わらないが、いつの間にか自分が操る車は変わっていた。その差に気づいたとき、胸の奥から静かに湧き上がるものがあった。

「僕らのやってることって、“拳で殴り合ってるだけ”じゃないですか。この拳だけでここまで来たんやなって。この感覚は多分アスリート、特にボクサーにしか味わえないと思います」。



20歳で免許を取得し、最初に選んだのはホンダ・フィット。「1年乗ったか乗ってないかくらいで、自分の交通手段として使ってましたね」。

そこから人生は一気に加速する。21歳で世界王座を獲り、そのままポルシェ・カイエンへ。さらに1年後には、ランボルギーニ・ガヤルド(後期型)を手にし、2台を並行して26〜27歳くらいまで乗っていたそう。

そして東京に拠点を移すタイミングで、一度すべてを手放した。駐車場事情や生活の導線を考慮してのことだった。



落ち着いたころに選んだのは、ジャガー・E-PACE。その後メルセデス・ベンツのGクラス(ゲレンデ)へ乗り換え、「ゲレンデは2台くらい乗り継いだ」と笑う。

車への情熱は今も変わらない。だが、その欲が向かう先は、少しずつ違う景色へ移っていった。


5/5

たどり着いたのは“誰かのために生きる幸せ”



多様な車遍歴を持つ井岡さん。今後「いつかは乗りたい」という車はあるのだろうか?

「ベントレーはまさに“いつか”の車ですね。でも、今すぐではないかな。もう少し自分に渋みが出てからがいいかと」。

若い頃、ランボルギーニやポルシェに胸を高鳴らせた自分とは違う。経験も肩書も積み重ね、満たされていく感覚をようやく知った。

「昔みたいに“今すぐ欲しい!”という衝動はなくなりましたね。服も時計も買ってきたし、なんか……落ち着いたんでしょうね」。



欲しいものを手にするより、“誰かに与えること”の喜び。その実感が、自然と胸に宿りはじめていた。

「家族ができて、価値観が完全に変わりました。時間も気持ちも、いちばん大きいのは家族。その時間が一番幸せですね。妻や子供が喜んでくれるものを買うほうがうれしいんですよ。人が喜んでる姿を見ると、心が満たされる。自分のためだけより、誰かのために生きるほうが、圧倒的に幸せなんだと思ったんです」。

これが、拳ひとつで夢を掴んできた男がたどり着いた答えだ。




ボクシングで道を切り開き、家族とともに価値観を更新してきた井岡一翔。ステアリングを握る横顔には、リングとは違う、大人の静かな強さが宿っていた。

欲を追うためではなく、誰かのために走る。ONでもOFFでもその軸は揺るがない。

清水健吾=写真 池田鉄平=取材・文

SHARE

advertisement

次の記事を読み込んでいます。