OCEANS

SHARE

HIPHOP誕生とギャング文化のつながり

1970年代にニューヨーク・ブロンクスで誕生したHIPHOP文化は、実はギャングとの浅からぬ関係を持っている。HIPHOPの名づけの親のひとりであるDJクール・ハークはブロンクスを拠点とするグループ出身であると言われており、もうひとりの伝説的DJアフリカ・バンバータは「ブラック・スペーズ」というギャングの元メンバーとして知られている。
advertisement

彼らは暴力ではなく音楽によって若者をまとめようと試み、やがてブロックパーティーから生まれたラップ・DJ文化がHIPHOPという新たなムーブメントと交じり合っていった。ギャングから転身した者なども含む、サウス・ブロンクスに生きる若者たちが作り上げたHIPHOPは、やがて世界中のストリート文化に大きな影響を与えていった。



HIPHOP誕生以前、ニューヨークでも1960年代後半にはブラック・スペーズなど黒人少年のギャングが結成されていたが、彼らの目的はあくまでも、「地元の地区の自警」であり、ドラッグなどに手を染めなかったため流行の移り変わりと共に約10年で衰退した。
advertisement

その後、1970年代のブロンクスで音楽・ダンス・アートによる自己表現に活路を見出した若者たちが作ったHIOHOP文化を通して、暴力ではなく創造性で名声を得る道を示していったのだ。これは、ギャング同士の抗争が激化する他都市とは異なる平和的な革命だった。

HIPHOPはブレイクダンスやグラフィティ、DJ、MCといった要素から成る総合文化として広がり、なかでもラップ音楽は貧しい都市黒人青年の声を代弁する武器として発展していったのだ。



「ラップはアメリカ黒人のCNN」社会へのメッセージ

HIOHOP、特にギャングスタ・ラップと呼ばれるスタイルは、ギャング文化と社会を結ぶメッセージの媒体となった。

ギャングスタ・ラップは一見すると政治的意識の高い「コンシャス・ラップ」と対極にあるように思われがちだが、1988年に「N.W.A.」が発表した過激な曲『Fuck Tha Police(ファック・ザ・ポリス)』に象徴されるように、ギャングスタ・ラップだからこそ可能な率直で切実な社会批評が存在したのだ。

例えばN.W.A.の楽曲はロサンゼルスの黒人街での日常や警察による抑圧を赤裸々に描き出し、大きな議論を呼んだ。また2Pacの『Changes』(1998年)のように、ギャングスタ・ラップのスタイルで人種差別や貧困への嘆きを歌い上げたものも存在する。こうした曲は暴力的な表現を含みつつも、その背景にある現実を社会に突き付ける訴えとしての機能を果たしたのである。



ラップ音楽全般で見れば、ラッパーたちはしばしば「アメリカ黒人のCNN」とも称され、スラムの現実をニュースさながらに語ってきたのだ。ギャングに関わるラッパーたちの歌詞には、抗争やドラッグに塗れた過酷な日々が綴られる一方で、そこから抜け出したいという願いや怒り、ときには仲間への愛情なども表現されている。

それは単なる犯罪の賛美ではなく、社会から疎外された人々の叫びであり、広く社会に対するメッセージであったのだ。事実、ラップはしばしば「貧しい都市部若者の代弁者」や「抵抗の声」として機能し、メインストリームのメディアが無視しがちな問題、警察による暴力、失業、教育機会の欠如などを浮き彫りにしてきた一面もある。音楽を通じてギャング文化が社会にもたらしたものは、現実の告発と警鐘だったと言えるだろう。
5/5

次の記事を読み込んでいます。