
連載「HIPHOP Hooray feat.SGD」とは......カリスマ的人気を誇りながら、2019年に凶弾に倒れたラッパー、ニプシー・ハッスル。日本で詳しく報じられることはなかったが、その非業の死は全米に衝撃を与えた。
ギャング、ドラック、銃。本場アメリカのHIPHOPには付きものだが、ニプシーはそんなイメージとは裏腹に、黒人コミュニティの地位向上に尽力した功労者としての一面も持ち合わせていた。彼の半生、その功績をSDGが解説!
案内人はこの方!
ショットガンダンディ(ShotGunDandy)●HIPHOP翻訳家。幼少期から沖縄で育ったマルチリンガルのアメリカ人。HIPHOPの深い知識を活かして楽曲の和訳やスラング、メッセージやリリックの意味などをYouTubeなどで解説し話題を呼んでいる。ビートサンプラーバトル「King of Flip 2023」ではベスト4入り。Instagram:@shotgundandy X:@ShotGunDandymk3
皆さんいかがお過ごしでしょうか? ShotGunDandy参上です。
今回はロスの貧困地域で育ち、ラッパーとして成功するも33歳という若さでこの世を去ったニプシー・ハッスル(Nipsey Hustle)というラッパーについて紹介しよう。
HIPHOP業界だけでなく、数多くのラッパーやギャングスターから多大なリスペクトを得ていた二プシーがどんな人物だったのか? 今回の記事を読めば理解できるはずだ。
カリスマ的存在だったニプシー・ハッスル
ニプシー・ハッスル(本名エルミアス・ジョセフ・アスゲドム、1985-2019年)は、アメリカ・ロサンゼルス出身のラッパー、起業家、コミュニティ活動家である。レコーディング・アカデミー(グラミー協会)も彼を「ロサンゼルスのラッパーであり実業家、活動家」と紹介している。
彼が育ったのは南ロサンゼルスの貧困地区、クレンショー。ロサンゼルス南部に位置し、長らく黒人系アメリカ人の文化と歴史を象徴する地域として知られてきたエリアだ。1970年代以降はブラック・ビジネスや音楽、芸術の拠点として栄え、レイマート・パークと並んで「ブラック・カルチャーの中心地」と呼ばれていた。
しかし、ニプシーが育った80〜90年代のクレンショーは、貧困とギャング抗争、ドラッグ問題に悩まされ、治安もかなり悪化していた。特にクリップスとブラッズという代表的なギャングの抗争が激化し、若者たちは暴力と隣り合わせの環境で育つことを余儀なくされた。
ニプシーも若い頃は地元ギャング、クリップスにも関わったが、2005年頃からミックステープを自主リリースしたり、自己資金でレーベル「All Money In No Money Out」を立ち上げるなど、音楽で道を切り拓くことを選んだ。
彼は一貫して「自分たちのコミュニティは自分たちで所有・再建する」という哲学を実践。音楽活動と並行し、黒人コミュニティの経済的自立を強く訴えたのだが、詳しくは後述する。
2018年2月に念願のメジャーデビュー・アルバム『Victory Lap』を発表すると、全米アルバムチャートで最高2位を記録。2019年のグラミー賞では最優秀ラップアルバム賞にノミネートされた実績も持つ。
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