20世紀アメリカ都市部における黒人ギャングの台頭
20世紀前半のニューヨーク・ハーレムでは、黒人による賭博や密売組織が興隆した。当時NYの中でも最大級の黒人住居区だったハーレムでは、「ナンバーズ賭博」と呼ばれる非合法賭博が盛んで、黒人女性ステファニー・“マダム”・セントクレアが女王として君臨した。
その用心棒を務めたエルスワース・“バンピー”・ジョンソンは弱者に施しをする義賊的なギャングとして知られ、1930年代には白人ギャングのダッチ・シュルツと対立して伝説的な抗争を繰り広げた。この物語は1997年の映画『奴らに深き眠りを』にも描かれている。
当時の黒人ギャングたちは巨大マフィアには及ばずマフィアの下部組織的な立場だったが、黒人社会内で一定の影響力を持つ存在となっていった。

シカゴではニューヨークに比べ白人と黒人の対立がより直接的だった。1920年代、シカゴ黒人社会で流行した賭博(ポリシー賭博)には黒人ギャングたちも関与していたが、アル・カポネなど白人マフィアは黒人に酒類密売をさせない代わりに、自分たちもポリシー賭博に干渉しないという棲み分けがあったとされている。
しかしカポネ没落後、後継者のサム・ジアンカーナがこの均衡を破り黒人ギャンブル業者たちを排除したことで、黒人ギャングと白人マフィアの抗争も生じてしまった。やがて1960年代に入ると、シカゴでも大規模な黒人ストリートギャングが登場する。
ブラック・ピーストーンズやギャングスター・ディサイプルズといったグループが巨大化し、地域の麻薬取引を牛耳るようになったのだ。シカゴはしばしば派閥抗争の激しい街として知られ、これらギャング同士の争いが都市犯罪に大きな影響を与えていた。

ロサンゼルスでは1960年代までの黒人ストリートギャングは比較的下火だった。むしろ60年代後半には黒人解放運動の高まりの中、ブラックパンサー党のような政治的な自衛組織が若者を引き寄せ、一時的にストリートギャングは影を潜める。
しかしブラックパンサー党が政府の弾圧で弱体化すると、1969年末、その受け皿を失った若者たちの間から「Crips(クリップス)」という新たなギャングが誕生し、真空地帯を埋めた。クリップスは当初「Community Revolutionary Inter-Party Service(コミュニティ革命党際サービス)」の略称で、パンサー党にならった政治的理念も持ち合わせていたとされている。
しかし、やがてその路線は失われ、過激な暴力で知られる犯罪集団へと変貌していった。同じ頃、クリップスに対抗して「Bloods(ブラッズ)」も1970年代初頭に結成されている。
以降LAではクリップスとブラッズという2大黒人ギャングが台頭し、1970年代後半までに無数の下部派閥に分かれながら市内に縄張りを広げていった。抗争は凄惨を極め、LAのストリートは一気に流血の舞台と化したのだ。

1980年代以降の麻薬経済とギャングの変容
1980年代に入ると、アメリカ全土を「クラック」と呼ばれる安価なコカイン製品が席巻した。このクラック・コカイン禍によって黒人ギャングの世界は劇的に変容する。それまで地元のシマ争いや賭博・売春などが主だったストリートギャングは、麻薬の巨大な利益に引き寄せられて行ったのだ。
コロンビアなど中南米の麻薬カルテルが米国市場に送り込んだクラックは、「ゲットーの黒人が好むドラッグ」と評判になり、一気に貧者の麻薬として拡がりをみせた。
ストリートでは高性能武器で武装した黒人やヒスパニック系のギャングたちが麻薬ディーラーの主役となり、街角でクラックを売りさばいて莫大な利益を上げ始めた。
クラックの登場によって黒人街の麻薬ビジネスは拡大し、LAのクリップス・ブラッズやシカゴ発のギャング、そしてNYの街並みなどで、そのネットワークとともに勢力を全国に広げて行く。
実際、1980年代後半から90年代前半にかけて全米規模でクラックのバブルが発生し、それに乗じて暗黒街はかつてないほどの活況と暴力に包まれた。

しかし同時に、この時期はギャングの姿を一変させた。クラック景気の裏でFBIや地元警察は組織犯罪への取り締まりを強化し、多くの黒人ドラッグ王やギャング幹部が逮捕されることに繋がる。1980年代からの厳罰主義により全米の受刑者数は激増し、犯罪行為そのものが以前にも増して割に合わないものになって行ったのだ。
巨大組織のリーダー格が次々と刑務所送りになった結果、ギャング内部の統率は弱まり、クリップスやブラッズでさえ「連合内部で内戦が絶えない失敗国家」のように分裂と抗争を繰り返す状態になった。
一方でクラック景気に便乗した小規模なドラッグ・クルーも各都市で乱立したが、多くは5~10年と持たず消えていった。
こうして90年代までに、一世代前の大物ギャングの多くは刑務所に消え、残された若い世代による小規模で流動的なギャングがストリートを埋め尽くすように発展する形となったのだ。
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