もうひとりのジャック
コンバースはほとんどバスケットボールシューズと同義で語られるブランドだが、じつははじめて世に問うたスポーツシューズは1915年にリリースしたコートシューズといわれている。裏どりはできなかったが、以降、さまざまなコートシューズがつくられてきたようだ。
コートシューズといえば「ジャックパーセル」があるが、このモデルがコンバース・ファミリーに加わったのは1972年であり、コンバースはそのずっと前からひとつのジャンルとして大切に扱ってきたのである。
そうして1940年に誕生したのが「スキッドグリップ」だった。
1987年当時のカタログ。
“近代テニスの父”と謳われたジャック・クレーマーが契約選手として宣伝に一役買ったおかげで、「スキッドグリップ」はコートというコートを席巻した(人気ぶりのエビデンスになりそうなエピソードはほかにもいくつもみつかったが、信憑性が乏しく泣く泣く諦めた)。
クレーマーは“もうひとりのジャック”の異名をとった。一人目はもちろん、ジャック・パーセルである。
控えめに見積もっても、コンバースはコートシューズにおいても先鞭をつけたブランドだったということがいえるだろう。そのもっともいい時代を牽引した「スキッドグリップ」は、「オールスター」と「ジャックパーセル」に続く第三の柱といっても過言ではない。
1971年に“ヒールスター”の名で親しまれた「オールスター テニス スエード」が登場すると、「スキッドグリップ」はファッションシーンへ軸足を移す。フィールドの主役は、レザーに取って代わられた。
あらたな定番を探しているなら、「スキッドグリップ」はまたとないモデルだ。
コートシューズ≒デッキシューズ
ジャンルとしてはコートシューズということになるが、その佇まい、スペックは往年のデッキシューズをも思い起こさせる。
しかしそれも当然で、コートシューズのルーツはデッキシューズなのだ。
デッキシューズが誕生したのは19世紀のイギリス。彼らが甲板の上で履いたフットウェアがそのルーツで、特徴はプリムソールと呼ばれるソールにあった。

プリムソール(plimsoll)とは満載喫水線という船舶業界の専門用語で、底まわりのフォルムがそのマークに似ていることからプリムソールを名乗ることになったといわれている。これを貴族のひとりがテニスの試合で履いてみたところ、たいそう具合がいいということで広まっていったとか。
ここで浮かぶ疑問は、コンバースはなぜコートシューズを謳ったのかということである。西海岸で愛されたことを考えればデッキシューズでもよかったはずである。

いまとなっては真相は藪の中だが、それはトップサイダーへの対抗心だったのかも知れない。トップサイダーがデッキシューズなら、こっちはコートシューズで行こう、という。当時のライバル関係は、どこか牧歌的で、微笑ましかった。ありえない話ではない。
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