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「運動会で親父が作ってくれた砂肝」はエゴだが──

──食材の構成の面白さにも驚かされました。料理のアイディアはいつどんな時生まれることが多いんですか?

スタッフの力も大きいです。レストランは「お互いが補完し合っている完全な球体」だと考えているので、一人ですべてを行うのは難しいです。だからこそ、彼らが出してくれたアイディアに、「それいいよね」と素直に反応できる柔軟性を持っていたいですね。実際に、以前コースで出していた牛タンと青唐辛子みその一皿も、仙台で牛タンを食べてきたスタッフの「やっぱり牛タンには唐辛子味噌ですよね」という一言から生まれました。

僕、知識って、一人の頭の中に蓄積する必要はないと思っているんです。今の時代スマホがあって、グーグルもAIもあって、検索すればだいたい何でも出てくる。じゃあ何を自分たちの頭の中に蓄積しておかないといけないか。やっぱり経験なんですよね。だからこそ自分の幼少期の想い出などもすごく大事にしています。

とはいっても、その思い出が、「運動会で親父が作ってくれた砂肝」のように個人的すぎると、エゴになって伝わらない。だからこそ、色々な人の経験を合わせて、その中でバランスを取っていくことが必要だと思います。

冬瓜の上には、イタリアのトリュフハンター富松恒臣氏がその日直接届けた白トリュフが。

冬瓜の上には、イタリアのトリュフハンター富松恒臣氏がその日直接届けた白トリュフが。

「その他大勢でいい」から「俺はこんなもんじゃない!」へ


──スペインにきて日本人として大変だったことは?


なんだろう…僕の頭はよくできていて、楽しいことしか覚えてないんですよね(笑)。

ただ、思い起こしてみれば、「お前は日本人だから」というフレーズが一番大変でした。どこまでいっても異質で、完全なローカルにはなれない。島国の日本では個人で向かい風を受けることは少ないですが、初めて個人で人種的なヘイトの矢面に立ったことは辛かった。はじめはスペイン語もわからなかったんですが、言葉がわかるようになってきて、実は同僚たちがにこにこ楽しそうに笑いながら僕の悪口を言っていると知った時は、ショックでした…(笑)。

エチェバリで担う役割が大きくなってくると、同僚からのジェラシーも感じました。いうなれば、東京の一流の鮨屋で、外国人が鮨を握るようになったものですからね。自分の受け持つお皿が多くなっても、仕込みをすべて一人で行わなければならなかったり、挨拶しても一切返事をしてもらえない時期もあったりして、精神的にもかなり危うい時もありました。

──確かにここにいると、歩いているだけで視線を感じますし、大都市とはまた違う難しさがあると思います。辞めようとは思わなかったのでしょうか? 

ここで辞めたら負け、全てが水の泡だと思ったんです。損切ができない性格なんですね。

正直にいうと、それまでは自分の可能性にベットしていなかった。給料をもらって普通に生活できればいいし、「その他大勢」でいいと思っていたんです。ある意味、勝ち負けの土俵に上がってないから、負けている実感もなかった。

でも、エチェバリで苦しい経験もして、「俺はこんなもんじゃない!もっとできるはずだ!」と思ってしまった。認められたい、という自我が芽生えてきたんだと思います。

薪の熾火を使い、刻一刻と変化する火力の状態を見極めながら熱を入れていく。

薪の熾火を使い、刻一刻と変化する火力の状態を見極めながら熱を入れていく。


メインのビーフチョップには、260日熟成させた2005年産の経産牛を使用。

メインのビーフチョップには、260日熟成させた2005年産の経産牛を使用。



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