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2023.09.22

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100万円盗難、パリの爆破テロ、熊本地震etc. 多事多難をくぐり抜けた料理人の逆転劇


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「失敗から学ぶ移住術」とは……

「白米に合うのは中華でしょ!」という極めてシンプルな衝動による初動から20年あまり、中華料理の道をひたすら奔走してきた鬼崎翔大、37歳。

現在は北海道のニセコ、広島・尾道の瀬戸田と東京の3拠点で15以上のプロジェクトに関わり、メニュー開発からレストランのプロデュース、複合型施設のディレクションや尾道の観光大使まで任されている。
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料理人として着実にキャリアを重ねている鬼崎さんだが、その裏には失敗や盗難、テロや震災にコロナなど、多事多難を乗り越えてきた過去があった。

話を聞いたのはこの人!
鬼崎翔大●1986年生まれ、熊本県出身。高校卒業後に中華料理の道へ。日本一周、世界一周を経て六本木「虎峰」でスーシェフ、西麻布「浮雲」のヘッドシェフを務める。現在は広島・瀬戸田「MINATOYA」、北海道のニセコ「falts.」でシェフを務める。

鬼崎翔大●1986年生まれ、熊本県出身。専門学校卒業後に熊本「桃花源」にて四川料理を学び、中華料理の道へ。日本一周、世界一周を経て六本木「虎峰」でスーシェフ、西麻布「浮雲」のヘッドシェフを務める。現在は広島・瀬戸田の「Staple Inc.」のコーポレートシェフ、レストラン「MINATOYA」のヘッドシェフ、北海道のニセコのラウンジ・レストランバー「The Flats.」でエグゼクティブシェフを務める。

時給300円労働!? で倍速の成長

19歳で大阪の調理師学校を卒業し、出身地・熊本にある老舗の四川料理で約6年間の修行を積んだ。

「今は大きく環境が変わっていますが、当時は厳しい環境でした。退職する日まで休みはほとんどなく、時給に換算したら300円くらいだったかもしれません」と笑う鬼崎さん。しかし、中華と仕事のイロハを叩き込んでくれたことにとても感謝しているといい、「おかげで人の倍のペースで成長できたと思います」と振り返る。

この逆境をチャンスに変えるマインドが、鬼崎さんの人生を切り開いてきたことは、その後の軌跡が証明している。



修行を終えた後は上京し、南青山の商業型コミュニティスペース「246 COMMON」に参加。

試行錯誤しながらBBQと中華をかけ合わせた料理を作り、3店舗の屋台を展開するまでに拡大した。だが、料理人としてのさらなる深みを求めて、鬼崎さんはすべてを手放して27歳で旅に出る。

「世界に出たいという野望がずっとあって、屋台で稼いだお金で世界一周の旅に出ました。実は、熊本で修行した後も日本一周をしているんです。料理人たる者、“馳走”を大事にすべきだと考えていて、とにかく知らない場所に足を運んで、その土地に根ざした料理に触れたい。世界に出たのも同じ動機です」。

南は九州の○○から北は北海道の宗谷岬まで趣味のバイクで各地を爆走した。

南は九州の熊本から北は北海道の宗谷岬まで趣味のバイクで各地を爆走した。

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100万円盗難被害とシャルリー・エブド襲撃事件

世界一周で鬼崎さんが訪れた国は○カ国。写真は○○の船上で食べた○○。

世界一周で鬼崎さんが訪れた国は25カ国。写真はベトナムの船上で食べたフォー。


東南アジアから始めた旅は、2カ月目にベトナムのハノイで資金の100万円を使い込まれる盗難被害に遭う。これが多事多難、1つ目のアクシデント。

「現地で仲良くなったやつがホテル側とグルで、預けていた財布からクレジットカードを抜いて100万円分を決済したんです。カード会社に事情を説明しても補償されず、ポケットに残っていたなけなしの400ドルを手に、帰国はせずに、ヨーロッパに飛びました」。

○○○○年、27歳。○○にて。

2014年、27歳。フィリピンにて。


ヨーロッパでは野宿やヒッチハイクをしながら過ごし、現地で仲良くなった相手のご飯を作りながら日々を食いつないだ。そんなある日、ラッキーな話が舞い込んできたという。

「日本人シェフを探している人がパリにいるという話を人づてに聞いて、すぐにフランスに飛びました。レストランの立ち上げスタッフとして採用されて、簡単には下りないサラリエビザ(労働ビザ)も取得できました」。
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旅の途中、パリで思わぬチャンスに恵まれた鬼崎さん。ハノイで失った100万円以上の額を短期間で稼ぎ出すなど、見事な逆転勝ちを収めた。

パリ・マレ地区にある和食レストラン「SOMA」のスタッフと。

パリ・マレ地区にある創作レストラン「SOMA」のスタッフと。


だがパリ在住1年半で、2つ目のアクシデントが起こる。日本でも大きなニュースとして報じられた爆破テロ、「シャルリー・エブド襲撃事件」である。

「テロで襲撃された新聞社は僕が住んでいた家のすぐ横だったんですよ。いつも行っていたピザ屋もランドリーも爆破されて、とてもレストランで働ける状態じゃなくなりました。5年以上働けば永住権を得られたんですが、断念して帰国しました。あのままフランスにいたら、また違った人生だったと思います」。

2016年に熊本地震発生。800万円が水の泡



パリから帰国後は地元の熊本に戻った。何もない400坪の土地を借り、畑を耕し、自ら狩猟するジビエを提供するレストランの準備に取り掛かった。

その1年後、3つ目のアクシデントが起きる。

「これから地方の存在が強くなると思ったので、地元に戻りました。広大な土地を借りて、鬱蒼とした森をショベルカーで切り開いて、水脈も掘って、レストランの建設準備を進めていたんです。そしたら、熊本地震が来て……」。

自力で森を切り開いてレストランの建設を準備した。

自力で森を切り開いてレストランの建設を準備した。


私たちの記憶に新しい2016年4月の熊本地震。鬼崎さんがいた大津町も震度6の被害を受けた。

「インフラも止まり、工事も全部ストップしました。レストランを開業したとしても、当分は誰もレストランに来られる状況じゃない。開業は無理だなと思いました。1年をかけて準備を進め、お金も800万円程つぎ込んでいたので、さすがにこたえました。精神的にきつかったですね」。
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