当記事は「THE WORDWAY」の提供記事です。元記事はこちら(第1回、第2回、第3回)。 「昨日の自分を超える」をテーマに各界のトップランナーの言葉を音声とともに届けるメディア『THE WORDWAY』。音声、インタビュー全文を楽しみたい方はオリジナル版へ。
今回のアチーバーは、バレーボール元日本代表の竹下佳江さんです。
竹下さんは「世界最小最強セッター」と称され、長く日本代表の中心選手として活躍。159センチの小柄ながら、磨き上げた最高峰の技術で2012年ロンドン五輪では28年ぶりのメダル獲得に貢献しました。
13年の現役引退後は指導者に転向。現在はパリ五輪を目指す日本代表監督付戦略アドバイザーを務め、監督と選手のパイプ役を担っています。弱点だった身長を長所に変えた考え方、世界に挑み続けた原動力、ターニングポイントを語ります。
強い組織作りに必要なもの、現場から求められるリーダー像とはーー。
言葉①「本当の自分はこうじゃないと思っても、勝つため、自分が上に行くために変えないといけないこともある」
Q:2013年に引退されて丸10年がたちました。まずは、現在の活動から教えてください。 (Vリーグの)ヴィクトリーナ姫路というチームにアドバイザーという形で関わりながら、個人でバレーボールの普及活動や解説をしたりしています。もちろん中心には子育てがありますし、日本代表の監督付戦略アドバイザーという仕事もやらせていただいています。
Q:現役時代の話を聞かせて頂きたいのですが、小柄な体で日本代表に上り詰め、世界と戦うのは簡単なことではありません。あらためて、どのように「身長」と向き合ってきたのでしょうか。 小学校3年生の時にバレーボールを始めて、最初は上手くなるのが嬉しかったり喜びを感じながらやっていたんですが、中3ぐらいで身長が止まるわけですよね。そうなると、高校を考える時に、身長が低いから自分が行きたい学校に行けなかったり、そこで初めて「やっぱりバレーボールって身長か」と。
選抜で大会に出たりする時も、身長が高い選手をなるべく強化対象にしていくので、中学ぐらいから身長のことは意識するようになりましたね。
Q:レベルが上がれば上がるほど、身長と向き合うウエイトが増していったということですか? そうですね。高校を卒業して企業スポーツに進む時も、バレーボールは6人制と9人制があるんですが、9人制の方しかないのかなみたいな話になっていました。実際9人制の企業から内定をもらっていたんですが、卒業するタイミングで世界ユースの大会で選ばれて優勝したことで、6人制のNECから「NECでバレーしないか?」という話をいただいたんです。
ただ、その話もすごく厳しくて、「入ってもユニフォームを着れないかもしれない」「レギュラーは難しいかもしれない」みたいな感じだったんです。
6人制でやりたいという夢があったので入社を決めましたが、当時日本で2位のチームだったので練習も厳しいですし、180㎝台とかがいっぱいいるチームで、とにかく結果を出さないとこのチームで生きていくポジションがないんだって。そんな思いで過ごしていましたね。
Q:それでも、2000年には日本代表に選出され、試合への出場機会も増えました。 4年目で初めてレギュラーのポジションを取って、そこでリーグ戦で全勝優勝したんですね。その結果もあって日本代表に呼ばれて、シドニーオリンピックの予選に出て行くんですけど、そこで負けて五輪出場を逃したんです。そうすると、また身長のことをたくさん言われて、身長との戦いがさらに始まったっていう感じですかね。
シドニー五輪は、日本が初めて五輪出場を逃した大会でした。「セッターの身長が低いから勝てない」と竹下さんが批判の的にされ、一度は現役を引退したそうですが。 20代前半だったんですよね。なので、本当にしんどくってメンタルをやられるというか。五輪を逃してしまい、バレーボールをこのままやっていいのかっていう葛藤もあって、(02年に)一度バレーボールから引きました。
バレーボールから離れていた期間は、どのようなことを考えていたのですか? (それまで)本当に365日休みなくやっていたんですね。自主練とか、休めばいい話なんですけど、「小さい選手が休んでどうすんだ」って自分でも思っていましたし、そうしないと居場所がなくなってしまうと、自分を追い詰めていたんです。
そこから解放されてバレーからちょっと離れて、ハローワークにも通って、「もうバレーボールはいいかな」って思っていた時に、当時のJTの監督さんから「もう1回バレーに戻ってこないか」と言われたんです。
(あの経験があったから)余裕も出ましたし、自分自身もやっぱりオンとオフはしっかり作らないといけないんだなっていうのを、改めて感じました。
その苦しい経験を経て、身長との向き合い方の変化や、選手としての考え方に変化はありましたか? 技術を磨くしかないと思いましたね。(当時は世界のセッターの平均が)180ぐらいあって、日本のセッターでも170を超えている人を使いたいっていう時代だったのですが、床に落とさないっていう下のプレーでは誰にも負けないものを身につけないといけないって思っていましたね。
セッターというのはスパイカーを生かして評価されるポジションなので、スパイカーが打ちやすい、(決定率などの)数字が上がるようにやっていかないといけない。
だからその選手に合わせたトスを上げていくっていうことはもちろん、セッターはつなぐポジションでコミュニケーションが取れないといけないので、人としての幅も広げる意味でも、「自分が、自分が」と思ってる時期から脱皮しないといけないというか。そういうところも変わっていったかなと思います。
上のレベルに行くためにコミュニケーションの取り方、性格的な部分も変えていったと? 自分を超えないといけないというか、実際本当は自分はこんなんじゃないよなって思うところがあっても、チームのため、バレーで勝つため、自分が上に行くためには、自分を変えないといけないところも出てくると思いますし、そういうところでは自分自身が一歩上に行けた瞬間でもあったのかなと思います。
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