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世間体を捨てた40歳「行けるところまで行こうと決めました」

インド(2005年)

インド(2005年)。


「当初は30歳までに帰国しようって思ってたんです。2、3年もあれば世界を見て回れるだろうって。でも、全然時間が足りませんでした。行ったことのない国がまだ多くて。だから35歳まで期限を延長したんです。

でも、35歳になってもまだ足りなかった(笑)。今度は40歳前までに戻ればいいだろうって、そうやってどんどん延びていきました」。
 
無論、40歳になっても岩崎さんが日本に戻ることはなかった。

「僕にも世間体はあったんです。葛藤もありました。社会に戻るなら年齢を考えた方がいいなって。でも、40歳になってもう吹っ切れましたね。逆に行けるところまで行かないとって。それに、少しくらい変わったやつが人類には必要かなっていう勝手な解釈もあります(笑)」。

左上から時計回りに、チベット、バングラディッシュ、イラン、ネパール。

左上から時計回りに、チベット(2003年)、バングラディッシュ(2004年)、イラン(2006年)、ネパール(2005年)。


野宿を卒業。大道芸で収入を得るように

当然ながら、所持金3万円はあっという間に消えた。食べるものに困ったときは行く先々で人の恩に助けられ、命をつないだこともあった。旅を続けるにはお金が必要だが、日々、移動する岩崎さんは定職につけない。
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残された選択肢はひとつ。移動しながらできる大道芸で収入を得ることに決めた。

「中学のときに技術家庭の先生が見せてくれたマジックが面白くて、独学で学んでいたんです。ハンカチで作ったねずみが動くという単純なネタから始めましたが、現地の人が喜んでくれて。手応えを感じて、本格的に力を入れるようになっていきましたね」。

左上から時計回りに、インド(2005年)、ジョージア(2006年)、イタリア2011年)、イギリス(2008年)。聴衆の反応がダイレクトに感じられる大道芸が旅のパワーの源。

左上から時計回りに、インド(2005年)、ジョージア(2006年)、イタリア2011年)、イギリス(2008年)。聴衆の反応がダイレクトに感じられる大道芸が旅のパワーの源。


60以上の国々で数千回に及ぶ大道芸を披露してきた岩崎さん。いつしか芸はすっかり上達し、国によってウケるポイントも心得てきた。

大道芸が文化として定着するヨーロッパでは、1回で150ユーロ(約2万円)程の投げ銭が集まることも。2008年頃には野宿を卒業し、今ではAirbnbに滞在できるまでになったという。
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好きなことも社会との関わりがないと続かない

子供もわかるようになるべく現地語を使うようにしている。

子供もわかるようになるべく現地語を使うようにしている。


収入以外にも得るものはあった。

「社会でいろんな仕事をしてくれる人がいるから、僕はこうやって世界を見せてもらえると思ってます。だから、もしただ長旅をしてるだけなら、いずれ自分に後ろめたさを感じてやめていたと思います。

それが、こうやって大道芸で現地の人を楽しませ、笑わせて、喜んでもらうことで、自分もその場所に還元できているって感じられるようになったんです」。

好奇心という自己満足と、人を楽しませ、喜んでもらうという地域への貢献が一体となり、岩崎さんの中でプラスの循環が生まれた。「世界を見たい」というシンプルな動機に加わった、新たなモチベーション。これが岩崎さんが21年間も旅を続けられている理由だ。
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「好きなことでも、社会と関わりがないとやっぱり続けられないんだと思います」。

岩崎さんが「人力」にこだわる理由

岩崎さんの最終目標は「世界一周」だが、考えてみれば20年以上も旅を続けているのに、なぜまだ未達成なのかが謎である。実はここにも岩崎さんの強い哲学があった。

「ここまで時間がかかっているのは、僕のペースが遅いからです。僕の旅は人力以外の手段は使わないのがルール。陸路なら自転車で、海路なら手漕ぎボートです。

コロナのときは飛行機を使いましたが、それだと国と国のつながりが見えない。着いた先の景色は同じでも、やっぱり、地べたを這って進むからこそ溢れ出る感情があるし、目の前の道が次の国に続いてることもしっかり確認できるんです」。

ネパールでは未経験者ながらエベレストの登頂に成功した岩崎さん

ネパールでは未経験者ながらエベレストの登頂に成功した岩崎さん。


ネパールでチャレンジしたエベレスト登頂にも、岩崎さんは1年をかけている。

「標高2800mの村に飛行機で飛んで、そこから登るのが一般的ですが、僕は海抜0mの村から人力だけで行きました。1年かかりましたが、世界一の山の高さをしっかり感じることができました。ほとんど苦行なので、おすすめできませんが(笑)」。
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現在は手漕ぎボートで大西洋を横断中!

大西洋横断のために購入した手漕ぎボート。岩崎さんのスポンサー企業「レアゾン・ホールディングス」が掲げるフィロソフィーは「BREAK YOUR LIMITS(限界を超えろ)」。

大西洋横断のために購入した手漕ぎボート。岩崎さんのスポンサー企業「レアゾン・ホールディングス」が掲げるフィロソフィーは「BREAK YOUR LIMITS(限界を超えろ)」。


さて、残すところは大西洋横断とアメリカ大陸の横断だが、まさに今、岩崎さんは手漕ぎボートによる大西洋横断に挑戦している。船はどうやって調達したのだろうか。

「『ブリテンズ・ゴット・タレント』に出たのは賞金を得るためでしたが、ゴールデンブザーに賞金はないんです。その代わり、日本のメディアに注目されたことがきっかけで、僕を応援したいというスポンサー企業が名乗りをあげてくれました」。

その資金で船を購入し、願いが現実のものとなった。

成功すればこれも日本人初の快挙となる。だが、手漕ぎボートによる大西洋横断は、過去に約200人がチャレンジし、数名が命を落とした危険な挑戦でもある。
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「1カ月をかけて練習し、船の操作や機器の扱いを学びました。想定されるいちばんの危険は嵐ですが、この船は激しい風や波にも耐えられる構造になっています。嵐の少ない冬の時季に出発するのも、危険を少しでも回避するのが狙いです」。

これまでも無謀な方法は避け、慎重を期す旅を続けてきた岩崎さんだが、“万が一”を覚悟していないわけではない。

「命の危険はあります。でも、満足の行く人生を送ってきたので長生きとか延命とか、そういう考えはあまりないんです」。
 
出航の前日に我々の取材に応じてくれた岩崎さん。

出航の前日に我々の取材に応じてくれた岩崎さん。


まだまだ岩崎さんの旅に終わりを迎える気配はないが、いつか日本に帰国する予定はあるのだろうか。

「順調に行けば4〜5年後、世界一周が終わったらですかね。あとは両親も高齢になってきているので、必要になったら戻りたいと思っています」。

テクノロジーの飛躍的な進歩によって、日本に住む両親ともマメに連絡が取れるようになったし、言葉の壁にも困らなくなった。

「昔は辞書を持ち歩いていましたが、今はすっかりグーグル先生にお世話になってますよ(笑)。日本の様子もインターネットで確認できるので、帰国しても浦島太郎のようにはならないかな」。

20年以上も日本から離れている割に、岩崎さんの日本語には何の不自然さも感じない。

「それは1カ所に住んでないからでしょうね。国を転々としているので言葉の影響を受けないんですよ。あなたの故郷はどこ? って聞かれたら、僕はいつも『地球です』って答えてます(笑)。ガンダム世代なので、『お〜これが地球か〜!』っていう感覚でいつも生きていたいと思ってますね」。


人力だけで47都道府県を横断し、四半世紀をかけて世界を一周する。そんな偉業を成し遂げようとしているのに、本人はいたってフレンドリーで飄々としている。

ちなみに今年1月14日にポルトガルの港を出航した岩崎さんだが、船酔いや筋肉痛に苦しみ、船の電圧が上がらないという致命的なトラブルに見舞われるなど、順風満帆な門出とはならなかったようだ。

今後、無事に航海が始まれば、70〜90日でカリブ海の島アンティグア・バーブーダに到着する予定。新天地で歩む道のりを、我々も楽しみにして待とう。

岩崎圭一=写真提供 ぎぎまき=取材・文

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