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2022.09.23

ライフ

ハンカチ王子・斎藤佑樹のセカンドキャリア。実業家としての今の夢は「野球場を作ること」



斎藤佑樹のセカンドキャリアは今●昨年、プロ野球人生に終止符を打ち、実業家としてのセカンドキャリアを歩み始めた斎藤佑樹さん。彼が想い描く未来予想図、そしてボールの代わりに手にしたカメラの魅力。
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甲子園のマウンドでハンカチ(実際にはハンドタオル)を使い汗を拭う姿から“ハンカチ王子”と呼ばれ、注目を集めたのは16年ほど前のこと。

斎藤佑樹さんは昨年、プロ野球人生に区切りをつけ、自身の名を冠した会社を設立。現在は野球の未来のために日々奮闘している。

そんな彼が抱く理想のセカンドキャリアとは? ウェルビーイングな暮らしとは? さまざまな岐路に立つオーシャンズ世代として気になることをすべて、聞いてきた。

まずはこの質問から。「斎藤さん、今の夢って何ですか?」。
斎藤佑樹●1988年生まれ。群馬県出身。早稲田実業学校高等部3年時に夏の甲子園で優勝し、早稲田大学進学後も4年間を通じて活躍する。2011年にはドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。2021年に現役引退し、同年12月に株式会社斎藤佑樹を設立。現在は「野球の未来づくり」をテーマに活動しながら、CM出演、野球解説、コラムの執筆、写真展の開催など幅広く活躍中。

斎藤佑樹●1988年生まれ。群馬県出身。早稲田実業学校高等部3年時に夏の甲子園で優勝し、早稲田大学進学後も4年間を通じて活躍する。2011年にはドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。2021年に現役引退し、同年12月に株式会社斎藤佑樹を設立。現在は「野球の未来づくり」をテーマに活動しながら、CM出演、野球解説、コラムの執筆、写真展の開催など幅広く活躍中。


夢の始まりは、“平成の怪物”松坂大輔だった

現在斎藤さんは、足繁く野球場に通い、雑誌の取材を受け、CMにも出演。会社を設立して以降「野球の未来づくり」をテーマに、忙しなく全国を駆け回っている。

これまでの活動を振り返りながら、「まだまだ初めてのことばかりで慣れないですね」と話す。とはいえ、実業家とアスリートでは共通点も多いと言う。



「ピッチャーは、バッターの気持ちや考えていることを探りながら自分の得意な球種を投げるもの。それは違うキャリアを歩んでいる今も同じで、相手のことをしっかり考え、何をしたいのかを咀嚼しながら対応しています。その点はすごく似ていると感じますね。

僕は今まで野球の経験しかないので、違うジャンルの世界で活躍されている方とお会いしながら日々刺激をもらっています。野球に対する視点もだいぶ変わったように思います。外から見ていると、選手ってすごく楽しそうにプレーするなと思うんですよ。

やっぱり、野球に携わる人は、皆野球が好きなんだなって。今思えば、僕ももっと野球の楽しさをファンの前で素直に表現してもよかったんだなと感じています」。

斎藤さんが野球の楽しさを知ったのは小学校時代。当時からプロ野球選手への憧れはあったが、それよりも彼の心を動かしたのは甲子園で躍動する“平成の怪物”だった。



「小学4年生の頃に横浜高校の松坂大輔さん(元西武ライオンズ)が活躍している姿を見て、すごく憧れました。

中学時代には、東京六大学野球の青木宣親(現東京ヤクルトスワローズ)さんが出ている早慶戦も観戦し、自分が早稲田のユニホームを着て活躍する姿を想像していました。

その頃から、甲子園に出場して優勝し、神宮で活躍するという明確な目標ができました。当時からプロ野球選手になるのは夢でしたけど、すごく漠然としていましたね」。

斎藤さんは、当時から周囲へその目標を語っていたという。



「高校入学時から『甲子園で優勝する』と、当時の仲間たちの前で言っていました。最初は優勝なんて無理だと思われていましたが、徐々に夢が現実味を帯びてきて、最終的には甲子園で優勝するという成功体験を得ることができました。

言い方はすごく難しいんですけれど、夢の叶え方というのか、叶える過程を経験できた。だからこそ今の僕の夢も、諦めなければ叶うと信じています」。

甲子園で優勝投手となり、東京六大学野球では史上6人目となる30勝300奪三振を記録。やはり夢を成し遂げきた男の言葉は、説得力が違う。

「プロになったあとは思うような結果を残すことができませんでしたけどね(苦笑)」というオチをつけるあたりも、斎藤さんの人柄だ。


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