輝けば世界の扉が開くハンティントンビーチ
五十嵐カノア選手の父 五十嵐 勉さん●1964年、東京都生まれ。カリフォルニア州ハンティントンビーチ在住。世界のトッププロとして活躍するカノア選手の活動をサポートしながら、最近はサーフィンやファッションなどの最新事情を通して西海岸カルチャーを伝えるYouTubeチャンネル「CCC|カリフォルニアカルチャーチャンネル」をプロデュースする。
子供たちには“究極の環境”を用意する。それが子育てに関する夫妻の哲学だった。
この点、業界の目が常に向けられていることを一例にハンティントンビーチの環境は素晴らしく、ビーチで光を放てば世界の扉が開き、扉の向こうには頂点へ続く道が敷かれている。
そしてカノア選手は6歳でその扉を開くことになる。
「初めて出たコンテストで優勝したんです。会場は毎年数万人規模の観客を集めるプロコンテスト『USオープン・オブ・サーフィン』と同じハンティントンピアの南側のスポット。
それでも物怖じせず試合を制した様子をピアの上から見ていた業界のキーパーソンたちがいました。
ひとりがサーフショップの名店『ハンティントン・サーフ・アンド・スポーツ(HSS)』のチームマネージャー。大会後に呼ばれたのでショップに行くと、いきなり『契約しよう』と。
カノアならどのサーフブランドでも推薦できるとまで言ってくれて。それならばと選んだのが『オニール』。当時、ジョン・ジョン・フローレンスがチームライダーだったんです」。
カノア選手の5歳年上のジョン・ジョンは幼少期から次代の世界チャンピオン候補と呼ばれ、実際’16年から2年続けてその座についた人物。
つまりカノア選手はわずか1試合で世界トップのステージに到達したことになるが、それを可能にするのがハンティントンビーチなのである。
「オニール」から「クイックシルバー」へ移籍した理由も“究極の環境”を求めて。チームライダーには’90年代から世界のサーフィンを牽引する絶対王者ケリー・スレーターがいた。
加えて同世代もトップ・オブ・トップ。先輩たちの姿からは戦いに挑む姿勢を学び、同世代とはしのぎを削る日々を過ごし、アマチュア時代には1シーズンに30勝を挙げ、12歳で全米タイトルを獲得するなど着実に力をつけ、結果を残していった。
その頃の勉さんは隣町のニューポートビーチにある寿司店でマネージャーとして勤務。移り住んだ直後から10年ほど勤め、息子たちがサーフィンに集中できる生活環境を整えた。
寿司店を辞めてからは息子のサポート役に徹しつつ、最近は撮り溜めた膨大な記録をYouTubeや帰国の際に催すイベントなどで発信し始めた。
そこには勉さんが愛したカリフォルニアの魅力、カノア選手の躍進の秘訣といった、勉さんだから伝えられる内容が詰まっている。
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