OCEANS

SHARE

2022.04.30

かぞく

「『また虐待か』と麻痺する社会は嫌だ」般若が子供たちのために動いた理由


<前編の続き>

目黒区虐待死事件を歌った新曲『2018.3.2』をリリースし、虐待のない社会を目指す「FOR CHILDREN PROJECT」を立ち上げたラッパー、般若。

「本当はこんな曲、存在しちゃいけない」と心境を語る彼だが、予想外に好意的、協力的な声も多く寄せられたという。

「たくさんの人たちからメッセージをもらいました。なかには『自分は虐待を受けていた』という当事者もいたし、『自分の子供に手を挙げてしまいそうだった。でも、曲を聴いて思い留まることができた』という母親もいました。

『児童相談所の職員です』という人もいれば、『野菜を育てているので何か協力できないか』という人もいて……本当にありがたいですね」。

子供に囲まれて育った、知られざる幼少期

般若●ラッパー。1978年、世田谷区三軒茶屋出身。1995年頃から活動を開始し、今年4月27日には13枚目のアルバム『笑い死に』をリリース。俳優としてドラマや映画などへの出演も多数。昨年は新レーベル「やっちゃったエンタープライズ」を立ち上げ、今年3月には「FOR CHILDREN PROJECT」を設立した。

般若●ラッパー。1978年、世田谷区三軒茶屋出身。1995年頃から活動を開始し、今年4月27日には13枚目のアルバム『笑い死に』をリリース。俳優としてドラマや映画などへの出演も多数。昨年は新レーベル「やっちゃったエンタープライズ」を立ち上げ、今年3月には「FOR CHILDREN PROJECT」を設立した。


般若自身、小学生の息子を育てる父でもある。幼児虐待の事件に心を痛めるのも当然だ。

一方で、実は親になる遥か昔から、多くの子供たちと深く、長く関わってきたことはあまり知られていない。

「うちの母親が保育士で、僕は3歳の頃から高校の途中まで、保育所を兼ねた自宅で暮らしていたんですよ。朝7時半から夕方6時まで、ギャンギャンうるさい子供たちとずっと一緒でした。

子供たちの面倒は本当によく見ていましたよ。大事にしていたミニ四駆を壊されたり、ドラクエを投げつけられて“冒険の書”が消えたりしたこともありましたけど(笑)」。

“孤高のラッパー”として畏れられ、「フリースタイルダンジョン」ではラスボスとして数々の挑戦者を葬ってきた姿からは想像もつかない、意外なルーツである。

「もう取り壊されちゃいましたけど、戦前からあったボロボロの家でした。ゴキブリがいるのは当たり前だったし、洗濯機で猫が赤ちゃんを生んでいたり、ゴキブリホイホイに鳩が捕まっていたり……もうギャグみたいな家でしたね(笑)」。
 


しかし、ここでも虐待という理不尽な暴力を目の当たりにすることになる。

「一歳になる前の女の子の足裏に根性焼きの痕があったのを見つけて。犯人はその子のシングルマザーの連れの腐れホストみたいなやつだったんですけど、その後も根性焼きの痕が増えていったんです。

その頃、僕ももう大きかったのでぶっ飛ばしにいこうと思いましたが、母親に諭されて通報することにしました。その子はその後、どうなったのかはわかりません。

でも、本当にいろんな家庭がありましたね。自分が育ってきた環境が今回の活動に影響しているかと言えば、やっぱり関係しているんだと思います」。


2/3

次の記事を読み込んでいます。