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テニス好きの奥さんにねだられた!?

スペルガはスイス人のエンジニア、ウォルター・マーティニーがイタリアのトリノで1911年に興したウォルター・マーティニー・ラバー・カンパニーがそのルーツだ。自動車産業勃興にあわせ、ウォルターはタイヤ製造に乗り出した。

創業当時の広告。白抜きの文字は“WALTER MARTINY”と読める。

創業当時の広告。白抜きの文字は“WALTER MARTINY”と読める。


タイヤ事業が軌道に乗ると、潤沢に抱えるラバーを使ってレインシューズを作りはじめた。創業3年後の1914年のことだ。チャールズ・グッドイヤーが発見し、トーマス・ハンコックが体系化したヴァルカナイズ製法をいち早く導入したのである。

スペルガという屋号とスペルガの代表作であるテニスシューズの「2750」が誕生したのは1925年のことだった。

スペルガの分解図。コットン、ラバー、アルミニウムのみでつくられる「2750」はサステナブルの嚆矢だった。

スペルガの分解図。コットン、ラバー、アルミニウムのみで作られる「2750」はサステイナブルの嚆矢だった。


ブランド名はトリノを囲む丘の上に立つスペルガ大聖堂にあやかっている。スペルガの工場はその丘の麓にあった。

なんとも微笑ましいエピソードだが、一説によれば「2750」はテニス好きの奥さんにねだられて作ったそうだ。

1920年代の広告。

1920年代の広告。


奥さんが履いていたテニスシューズは一試合で履き潰すようなチープな作りだった(そのシューズはロープ製だったそうで、おそらくはエスパドリーユのようなものだったのではないかと考えられるが、確かなことはわからない)。

レインブーツのものづくりを応用すれば、耐久性があって履き心地もいいテニスシューズが作れるのではないかとウォルターは考えた。この読みは、見事に当たった。

スペルガはピレリのラブコールに応えて1951年にその傘下に入ると、20年余りで年間生産足数を200万足から1200万足まで伸ばした。1962年には「2750」おなじみのロゴを完成させた。手掛けたのはアルベ・スタイナー。イタリアを代表するグラフィックデザイナーだ。

土台を固めたスペルガが満を持して取り組んだのがテニスプレイヤーのスポンサードである。

アルべ・スタイナーのロゴ。

アルべ・スタイナーのロゴ。


1976年の全仏オープンで頂点に立ち、イタリアが初優勝を飾った同年のデビスカップでも活躍したアドリアーノ・パナッタ、そして1980年代の絶対王者、イワン・レンドル。彼らの足元を飾ったのがスペルガだった。

1981年の全米オープンでイワン・レンドルが履いたモデル。

1981年の全米オープンでイワン・レンドルが履いたモデル。


その確かなものづくりは軍の目にもとまった。インラインで展開される「2390」はイタリアのソルジャーが履いたシューズを復刻したものである。

ヴァルカナイズ戦線においてスペルガが後塵を拝している感は否めない。しかしそのDNAは他のブランドと比べてもけして引けを取らないものであり、菅谷の目のつけどころはきわめて正しかった。

スペルガの魅力を知ろうと思えば、アーティファクト バイ スペルガはまたとない。


[問い合わせ]
カメイ・プロアクト
 03-6450-1515

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