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始まりは「ケミカルウォッシュ」。雑誌や先輩から刺激を受けた青春時代


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洗練されながら余裕も感じる。そんな大人のカジュアルスタイルを着こなす敦士さんだが、ファッションへの目覚めは小学生時代にさかのぼる。

「自分で『これが着たい!』と意識し始めたのは、小学5、6年生くらいですね。家族旅行に行くタイミングで、『あのジーンズが欲しい!』と親にお願いした記憶があります。

当時はケミカルウォッシュの全盛期で、近くの店でも売っていたエドウィンやリーのジーンズとかに憧れて買ってもらいました。自分の好きな服を選んで着ることの楽しさを知った、ある意味の原点ですね」。
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高校生になると、一転して雑誌やストリートのトレンドに強い影響を受けるようになる。

「高校に入ると、やっぱり異性の目を意識し始めるじゃないですか(笑)。“カッコいいって思われたい!”という一心で、『メンズノンノ』『チェックメイト』『ファインボーイズ』『ブーン』といった雑誌を読み漁ってました。

地元は岐阜なんですが、電車で名古屋のパルコやセレクトショップのミッドウエストまで足を伸ばして、なけなしのお小遣いでMA-1を買ったのは嬉しかったなぁ。

ちょうどバルセロナオリンピックの時期で、アメリカのバスケットドリームチームが話題になって、ジョーダンやユーイングのオリンピックモデルのバッシュを友達と買いに走ったのも良い思い出ですね」。

「当時は雑誌と街の先輩たちがファッションのすべてでした」と懐かしむ。

「当時は雑誌と街の先輩たちがファッションのすべてでした」と懐かしむ。


大学に進むと、名古屋・大須の古着カルチャーに没入していく。

「大学時代は、とにかく大須の古着屋に通い詰めていましたね。ヴィンテージのデニムに味のある古着Tシャツ、足元はコンバースのオールスターというスタイルが自分の定番でした。

そこからナイキのエアマックスみたいなハイテクスニーカーブームをリアルタイムで体験して、今もスニーカーが好きなのは完全にそこからです」。



そんな若き日の敦士さんが、モデルという道へ進むきっかけとなったのは、地元で刺激を受けた友人・久世良輔さんの存在だった。

「久世ちゃんはバンド活動をしていて、横浜で開催された『ホットウェーブ』という大きなコンテストで優勝したんです。その姿を見て『俺も何か挑戦したい』と強く刺激を受けました。

前々から憧れていたモデルの仕事への思いを伝えたところ、名古屋のモデルの先輩を紹介してもらうことに。そこから名古屋で2年半ほどモデルとして活動し、大学卒業と同時に上京しました」。
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