連載「The BLUEKEEPERS Project」とは……OCEANS SDGsアドバイザーの井植美奈子さんが率いる海洋環境保護NGO「セイラーズフォーザシー日本支局」に、このたび強力なパートナーが加わった。アメリカの海洋生態学者・ルブチェンコさんが名誉顧問として就任したのである。
海と科学、そして社会をつなぎ続けてきた彼女に、海洋保全の現在地、そしてお互いの出会いから始まる新たな展望について話を聞いた。
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[左]井植美奈子(いうえ・みなこ)さん⚫︎ディビッド・ロックフェラーJr.が米国で設立した海洋環境保護NGO[Sailors for the Sea]のアフィリエイトとして独立した日本法人「一般社団法人セイラーズフォーザシー日本支局」を設立。京都大学博士(地球環境学)・東京大学大気海洋研究所 特任研究員。総合地球環境学研究所 特任准教授。OCEANS SDGsコンテンツアドバイザー。
[右]ジェーン・ルブチェンコさん⚫︎海洋生態学、気候変動、環境と人間のウェルビーイングの相互関係を専門とする世界的科学者。オレゴン州立大学名誉教授を務める。1996年から2006年まで米国国立科学財団(NSF)理事を歴任し、2009年から2013年には米国海洋大気庁(NOAA)長官としてオバマ政権の科学政策を牽引した。さらに2014年からは米国国務省初代海洋科学特使として各国で科学外交を展開。2021年から2025年まではホワイトハウス科学技術政策局にて気候・環境担当副局長を務めた。世界で最も論文引用数の多い生態学者の一人として、気候変動対策、漁業改革、沿岸生態系の回復、持続可能な海洋管理に多大な影響を与え続けている。
――お二人はどのように出会われたのですか?井植美奈子(以下、井植) 10年前、「米国海洋大気庁(NOAA)」長官として来日された際にお会いしました。当時から彼女は著名な海洋生態学者として知られており、私は一方的に尊敬していたんです。来日される際にお会いしてはどうかというお話を光栄にも頂き、ドキドキしながらお目にかかったのが最初でした。
ジェーン・ルブチェンコ(以下、ジェーン) そのとき私は「ブループラネット賞」
※を受賞するために来日していました。NOAA長官としてスタッフも同行していて、とても印象深い訪問でしたね。
※地球の環境問題の解決に向けて優れた研究をした人や、熱心に活動を続けてきた人たちをたたえて贈られる賞公益財団法人 旭硝子財団が主催。
――ジェーンさんから見た井植さんの印象は?ジェーン 井植さんは既に「セイラーズフォーザシー日本支局」を立ち上げていて、海の保全活動を実践されていました。例えば「どのシーフードを選べば海の未来を守れるか」を示すツールとして「ブルーシーフードガイド」を発行してましたし。情熱と知識の両方を持つ方で、「もっとこの人について知りたい」と惹かれましたね。
――井植さんが海への情熱を深めたきっかけは?井植 「セイラーズフォーザシー」を立ち上げたディビッド・ロックフェラーJr.夫妻と長年親交があり、いつも話題になるのは海の環境問題でした。特に印象的だったのは、夫妻と成田山を訪れたときのこと。境内には魚のモチーフが多く、それを見たディビッドが「日本は魚を愛しているのに、なぜ資源の減少には無関心なのか?」と問いかけてきたんです。そして、彼が見せてくれたのがシーフードウォッチ
※のポケットガイドでした。
「魚が減っている」という現実にショックを受けると同時に、このガイドを日本でも広めなければと強く思い、それから一年後に「ブルーシーフードガイド」を発行しました。
※アメリカのモントレー・ベイ水族館が、サステナブル・シーフードを推進すべく、科学的根拠に基づき水産物の資源状態を格付けする機関「シーフードウォッチ」が発刊しているガイドブック。
ディビッド・ロックフェラーJr.夫妻
――ディビッド・ロックフェラーJr.さんとのつながりは、ジェーンさんにとっても深いとか?ジェーン 私はディビッドが「セイラーズフォーザシー」を立ち上げるきっかけとなった場にも同席していました。2011年、私と彼は「ピュー(Pew Charitable Fund)」の委員で活動をともにしていたんです。
この委員会は、アメリカの海洋政策をより強化するために設立され、現場の声を聞きながら政府に提言を行っていました。漁業者や科学者、各州の知事、実業家など、あらゆる人々と直接会い、意見を聞いて纏め上げるというプロセスを経て、アメリカの漁業管理のあり方が大きく変わりました。
ディビッドはその経験を通して、「海の中で何が起きているのかを多くの人に伝えなければ」と考え、「セイラーズフォーザシー」を設立したんです。井植さんという素晴らしいパートナーが日本で支部を立ち上げ、活動が続いていることを本当にうれしく思います。
2024年4月にギリシャ・アテネで開催されたOur Ocean Conferenceの世界の海洋問題を担う女性リーダーたちのパネルの様子。井植さんとジェーンさんの間に座っているのはパッカード財団トップのナンシー・リンドバーグさん。ジェーンさんの左は元ポルトガル海洋大臣のアッスンサオ・クリスタスさん、写真一番左は元EU海洋担当大臣のマリア・ダマナキさん。
――科学と政策の連携については、どのようにお考えですか?ジェーン 私は海洋生態学者として、「科学・政策・社会をどうつなげていくか」を常に意識しています。まさに「せイラーズフォーザシー」の活動は、その理想が形になったものだと思います。
井植 科学と政治のネットワークが連携することは非常に重要です。各ステークホルダーに役割があり、それをどうコーディネイトして、より大きな輪にしていくか。それこそが、これからの時代の鍵を握るのだと思います。
――海洋保全における科学者の役割とはなんでしょうか?ジェーン 科学者というのは、世の中の不思議を前に「どうして?」「なぜ?」と突き動かされる存在です。発見への好奇心こそが原動力ですが、今の時代は問題を見つけるだけでなく、解決策を提示することが求められています。私は海洋生態学を専門としていますが、海の変化は想像以上に速い。だからこそ、多くの人と協力してソリューションを築き、未来の世代が海の恵みを享受できるようにしたいと思っています。
――NOAA時代、特に印象に残っている成果は?ジェーン 大きな成果のひとつは、漁業管理の仕組みを変えたことです。アメリカでは「漁業は持続可能であること」と定められていましたが、現場では乱獲が起きていました。やっぱり、目の前に魚がいれば「自分が獲るか、誰かが獲るか」と思ってしまう。利益を優先すれば、つい獲りすぎてしまうのは自然な心理ですよね。
そこで私たちは、漁獲量をきちんと管理した人が報われる仕組みへと変えました。無理にたくさん獲るのではなく、賢く管理して持続させる。“Smarter, not Harder” という考え方です。
――漁業者の方々の反応は?ジェーン 導入後、海洋資源は驚くほど早く回復しました。漁業者たちもその成果を実感し、やがて誇りを持つようになったんです。この制度がオバマ政権下で導入され、後にトランプ政権で変更の動きがあったときには、漁業者自身が「変えないでほしい」と声を上げたほど。それだけうまく機能していたということです。現在、アメリカの海洋資源量の3分の2がこの仕組みで管理され、500種の魚が対象になっています。科学者、NGO、政府職員が協力して改革を進めた成果だと思います。
――消費者への意識変革も重要ですね。ジェーン 最近ではスーパーでも「持続可能なシーフード」と表示される商品が増えましたが、消費者の意識を変えていくことこそが次のステップです。レストランで食べる魚、店で買うシーフード、それを選ぶ行為が未来への投票なんです。その意味でもブルーシーフードのガイドは、とても大切なツールです。
井植 実は、日本ではまだ“ブルーシーフード”としておすすめできない魚種が多いんです。資源が減少している魚種も多くありますし、漁業管理体制の不明確さからデータが不足し、評価できないケースも少なくありません。評価は「資源量」「生態系への影響」「管理体制」の3つで行われますので、すべてのカテゴリーで合格点に達していないと、ブルーシーフードにはなれません。
また、地域によっても管理の度合いが大きく違う。ある地域では厳格に管理されていても、隣ではそうでない場合もあるんです。しかし、海はつながっています。どこか一部の海だけを守るのではなく、全体を見て連携していくことが大切です。

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科学、政策、社会、そして消費。それぞれの立場が同じ方向を見つめて動き出せば、海の未来はきっと変わる。「美しい海を未来へつなぐために、今できることを」。その思いが、次の世代への希望を紡いでいく。