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150軒の門前払いにもめげず


いまや羊毛生産量トップを誇るオーストラリアにその産業が芽生えたのは英国の植民地だった1797年。英国陸軍大尉、ジョン・マッカーサーが南アフリカで買い付けたスペイン・メリノ8頭とともに上陸したのが始まりだ。羊毛はもちろん、まだ保存技術が未熟だった当時、日持ちするその肉も歓迎され、羊はオージーの大切なパートナーになった。
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シープスキンブーツが登場したのは1920年代で、羊毛刈り職人の間で広まったといわれている。彼らは暖かいけれど不恰好なそのブーツを愛情を込めて“Ugly Boots”と呼んだ(アグの名はそのニックネームに由来するとの情報もあったが、真偽のほどは定かではない)。

これに目をつけたのがサーファーであり、アグの創業者、ブライアン・スミスだった。


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スミスは会計士として身を立てるべく勉学に励んでいた。公式サイトによれば、ラジオから流れてきた一曲が、彼の運命を変えた。内省的だったというその調べを耳にした彼のなかでなにが起こったのか、いまとなっては知る由もない。ただひとつの確かなことは、突き動かされるようにカリフォルニアへ渡ったということだ。

彼を待っていたのはカウンターカルチャーとしてのサーフシーンだった。彼らは早朝のサーフセッションでもビーチサンダルを履いていて、そして寒そうにしていた。その光景を目にしたスミスはおそらく一も二もなくこう思った。故郷が誇るブーツを彼らのために――。



1978年、スミスはアグを立ち上げ、意気軒昂と営業に回った。ところがことごとく門前払いを喰らった。足を棒にして叩いた門の数は150(!)にのぼった。しかしそれも仕方のないことだった。サーファーの足元はビーチサンダルと相場が決まっていたからだ。

スミスはならばとみずからのバンの後ろにブーツを並べ、即席のポップアップストアを開き、その魅力を一人ひとりに説いていった。そうしてまさに草の根的に広まっていく。

レッドカーペットをアグで闊歩するセレブリティがパパラッチされたのは、それから10年足らずのことである。


[問い合わせ]
ピルグリム サーフ+サプライ 東京
03-5459-1690

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