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ピニンファリーナという老舗

バッティスタという車名は、ピニンファリーナの創業者、バッティスタ・ファリーナからの命名だ。

ピニンファリーナの手によるランチア アウレリアB24スパイダー(写真:Automobili Pininfarina)

ピニンファリーナの手によるランチア アウレリアB24スパイダー(写真:Automobili Pininfarina)


バッティスタは1930年に自動車メーカーのために車体をデザインし、製作もするカロッツェリアを創業した張本人で、ニックネームが“ピニン”だったことから、社名を当初は「ピニン・ファリーナ」に。のちに一族は、名字を含めて、「ピニンファリーナ」の一語に変更したのだった。

大河ドラマなみの壮大な物語にならないよう、クルマのバッティスタが実現にこぎつけるまでの流れを、手短に説明しよう。

バッティスタ・ファリーナ(1883~1966年)は、当初より、車体にとどまらず「クルマを作りたい」という希望を持っていたという。次に会社を引き継いだセルジオ・ピニンファリーナ(1926~2012年)の時代にも実現せず、セルジオの次男パオロ(1958年生まれ)がグループの会長になってようやく結実する。

2015年に、インドのコングロマリット、マヒンドラが経営に参画し、アウトモービリ・ピニンファリーナが設立されたのだ。

従来のデザイン会社としてピニンファリーナも、B to Bのビジネスを継続。その中には、これまでどおり、技術や新素材などの提案も含まれる。ピニンファリーナの名は、今後もこの2つの会社が使うことになるという。

今回、試乗したバッティスタ55(写真:Automobili Pininfarina)

今回、試乗したバッティスタ55(写真:Automobili Pininfarina)


バッティスタが2019年のジュネーブ自動車ショーで大きな話題を呼んだのを、私はよく覚えている。ピニンファリーナが自ら自動車を作ったことは、驚きを持って受け入れられたのだ。


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