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自分の何かを探したくて家を飛び出した



編集部 そういえば黒田さんは高校を中退して16歳で家出したそうですね。

黒田さん そう。もともと高校なんか行く気はなかったんですけど、おふくろの意向を汲んで受験したら合格しちゃったんです。それで通ってはみたけどやっぱり面白くなくて、抜け出すことばかり考えていました。そして16歳のある日、「もう学校にも家にもいたくない!」と着の身着のままで家出して、高校も中退したんです。

編集部 家を飛び出すというのは相当な覚悟があったと思うのですが、どんな気持ちだったのでしょうか?

黒田さん 僕は学校っていうものがのっけから面倒だったんです。それにうちは親父が死んで破産して、貧乏でしたから、母親に食わせてもらうのは申し訳ないという気持ちもありました。後はやっぱり「俺は俺で、何か探したい」という思いが強かったんですね。

編集部 その頃、やってみたい仕事とか、なりたいものがあったのですか?

黒田さん 漫画家になりたかったんです。小学生の時、手塚治虫さんが描いた漫画で、主人公が乗る自動車の車輪が楕円形にギュンとゆがんでいるのを見て衝撃を受けたんです。学校でそんな絵の描き方は教えてくれないでしょ? 自分もこんな漫画を描く漫画家になりたいと思って、『漫画少年』という雑誌にずっと投稿していました。

編集部 黒田さんにとって絵の入り口は手塚治虫さんの漫画だったのですね。

黒田さん はい。でも結局、漫画家にはなれなくて、家出した後はアメリカ海軍関係の「LST 629号」という船の船員になりました。45人の船員の中で10代は僕だけ。ペンキ塗りとかご飯の配膳とか何でもやりました。船を降りてからは大阪でトラックの上乗りをやったり、バーテンダーの見習いをしたり、いろんな職を転々として、その頃は大きな夢とか何もなかったですね。


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