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25年以上、地域のためのボランティアを続けてきた



そんなSHINGOさんのラッパーデビューは31歳。大学卒業後は関西の福祉関係に就職しますが、その後脱サラし、本格的にライブ活動をスタート。また、ラッパーとして活動する前から、萩之茶屋南公園(通称:三角公園)での炊き出し、児童養護施設へのクリスマスケーキの寄付などを続けてきました。

「炊き出しは26歳で始めたんで、もう25年になります。その頃まだサラリーマンやったんで、休みの日に炊き出しに行くって感じですね。子どもの頃から三角公園の近くを通っていて、なんとなく団体の人らも顔見知り。炊き出しを手伝いたいなと思った時に、団体の人に声をかけて参加させてもらった感じです」

路上生活者が多い公園としても知られる三角公園ですが、SHINGOさんは「清流みたいな場所」と例えます。

「日本で一番のゲットー(*)な公園かもしれませんけど、清流みたいな気持ちになれるんですよね。ここでは、誰がどこから来たとか、どこの生まれとか、男女も関係なくて、同じ人間として平等なんです。だから僕ら炊き出しやってる人も、お互いの素性なんか知らないけど、悪口なんかも言わないし、ただひたすら目の前のお皿を洗って、『きれいにしてくれておおきに』って言う。そういう場所です」

*ゲットー・・・ヒップホップでよく使われる、低所得者が多く住む地域や治安の悪い地区という意味。

2007年からは、児童施設〈こどもの里〉にクリスマスケーキを寄付する活動も。始めたきっかけは、一人の少女との会話からでした。

「〈こどもの里〉は、僕も小学1年くらいの時からめんこ遊びをしたりして、馴染みの深い場所でした。20代になって、施設の手伝いがしたいと思って、また通い始めるようになるんですけど。その日、クリスマスが近かったんで、小さい女の子に『クリスマスはケーキ切って食べるんやろ?』って聞いたら、『ケーキって切るん? 切ったことない』って。

僕も貧乏やったけど、ケーキくらいは切ったことあるな、と。そんでこの女の子にホールケーキ切らして食べさせてあげよと思って、当時はライブのギャラが1回2,000円とかでしたけど、そのお金をプール(*)して、仲間2人と一緒に始めました」

*プールする・・・お金を貯金する



2023年には、〈こどもの里〉〈今池こどもの家〉〈わかくさ保育園〉〈山王こどもセンター〉の4カ所に合計33個のホールケーキを届けました。こうしたSHINGOさんの活動をきっかけに、近年では府内の柏原市や泉佐野市、岸和田市などでも同じ想いの方々が児童施設にケーキをプレゼントする活動をしています。「みんなの街でもやったらできますよ」とSHINGOさん。

また、2011年からは、西成の街中にグラフィティアートを施すプロジェクト「西成WAN(ウォールアートニッポン)」も発足。総合プロデューサーとして、国内外のアーティストを誘致し、街を鮮やかに彩る活動をしています。

「2007年に友人でアーティストだったTERRY THE AKI-06が亡くなって、彼の意志を継ぐかたちで『西成WAN』を始めました。錆びついてセピア色になってく街を僕らで色づけて、西成全体を美術館にしたいなと。スマホの地図で店を探すんじゃなくて、アートをたどって行ったらいい店と出会える、なんて楽しいですよね。それに街を歩く分にはお金は要りませんから」

最近では、グラフィティアートが施された壁は学生たちの撮影スポットにもなっているそう。「小学生とか中学生が卒業アルバムの記念写真の背景として、グラフィティを使ってくれてるんです。僕自身、たまたま撮影してるのを見かけたりして。ほんとうにうれしいですよ」とSHINGOさん。

また、ゴミが以前に比べて少なくなったという効果も出ています。

「ゴミが多いところにグラフィティを描くと、その後はゴミが減ってるんですよ。西成は不法投棄や落書きも多いんでね。近所に住んでる人が、ゴミを片付けてくれたりもしてて、いい循環になってる。アートの力はすごいですね」






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