当記事は「FUTURE IS NOW」の提供記事です。元記事はこちら。 「うちの地元でこんな面白いことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根づきながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。
今回にご登場いただくのは、山口県萩市でゲストハウス〈ruco〉を運営する塩満直弘さん。江戸から明治時代にかけて、多くの偉人を輩出したことでも知られる、歴史ある街・萩。そんな土地に新しい風を吹き込んだのが、海外生活などを経てUターンした塩満さんです。
さらに、地元・萩に留まらず、下関・阿川駅には「小さなまちのkiosk」〈Agawa〉をプロデュースされるなど、山口県に新しい視点をもたらしています。塩満さんが、地元で挑戦する意義とは。18歳で萩を出て、現在に至るまでのストーリーと共に紐解きます。
Profile塩満直弘さん(しおみつ・なおひろ)
1984年、山口県萩市生まれ。
18歳で地元を飛び出し、カナダ、アメリカ、神奈川、東京を経由し、2011年に帰郷。2013年、萩市にゲストハウス〈ruco〉(ルコ)をオープン。2020年8月、山口県下関市のJR西日本・阿川駅に「小さなまちのkiosk」〈Agawa〉(アガワ)を開店。2022年、株式会社Backpackers’ JapanCCOに就任。
https://guesthouse-ruco.com/ 地元・萩市に戻りたい、そう思える場所にしたい
山と海に囲まれた、自然豊かな城下町・萩。大政奉還ゆかりの地として、幕末関連の数々のスポットが点在し、幕末ファンや歴史的建造物が好きな観光客にも人気の都市です。
そんな由緒正しい街に突如として現れたのが、4階建のビルを改築したゲストハウス〈ruco〉。2023年で10周年を迎え、萩の新しい顔としても定着しつつあります。〈ruco〉があるから萩に来た」と言う人や、〈ruco〉がきっかけで移住をする人もいるほど。代表の塩満さんがこのゲストハウスを建てたのは、Uターンで帰省した28歳のときでした。
「18歳で萩を出たのですが、いつかは地元に戻って事業がしたいと思っていました。それまでも地元にUターンする人はいたように思いますが、家業を継いだり、帰らざるを得ない事情があったり。どこか渋々帰ってきているイメージがありました」
萩という故郷にプライドや自信を持って、戻ってきたいと思える場所にしたかった、と塩満さんは続けます。
「当時、カナダでワーキングホリデーをしたり、ニューヨークに住んだりして、B&B(*)やユースホステルに泊まることもありました。そんなとき、観光地である萩の宿泊施設にもう少し選択肢があっていいのではと思うようになり、模索していく中で、ゲストハウスをやろうと思いついたのが、20代前半頃でした」
*B&B・・・「Bed & Breakfast」の略。宿泊と朝食をセットにした簡素なタイプの宿。
海外から帰国した塩満さんは、鎌倉にあるデザイナーズ旅館で働き始めた。しかし、当時塩満さんが求めていた、「お客さんとスタッフの垣根のないコミュニケーション」は叶わず、地元にゲストハウスをつくるため一念発起。街と人とをつなぐハブの役割を果たせるような場所をつくるために、バスセンターにも、飲食店にも、城下町へもアクセスしやすい物件を見つけ、リノベーションを開始します。
工事の様子を逐一Facebookで発信したり、それを見た人が手伝いに駆けつけたり、オープン前からすでに話題に。当時はFacebookが流行り始めていた頃で、「SNSで周りを巻き込んでつくっていくというのは、センセーショナルだったのかもしれない」と塩満さん。そしていよいよ2013年、全国のファンが見守るなか、〈ruco〉はオープンしたのです。
Facebook で〈ruco〉開店準備で盛り上がる様子を発信
「萩は伝統ある街なので、新しいことを始めにくい印象がありました。若く、無知な僕たちが勢いで始めたことで、『自分たちで何か始めてもいいんだ』という機運が高まっていったような気がします。〈ruco〉をきっかけに移住する方も増え、いい連鎖が起きていると思います」
新しい価値観をもたらす、透明な駅舎〈Agawa〉の存在
〈ruco〉のオープンから7年後、次に塩満さんが着手したのが、山口県下関市にあるJR西日本・山陰本線の阿川駅駅舎。日本の原風景のような場所にぽつんと建つ無人駅が、透明な四角の箱のキオスクとして生まれ変わりました。
そこでは地産品を購入したり、コーヒーを飲んだり、イベントに参加することもできます。ゲストハウスの次に「駅」に注目した理由とは何だったのでしょうか。
「宿泊施設だと、限られた用途であるという印象を与えてしまい、街の人にとっては入りづらさもあるのではないかということを感じて。〈ruco〉にはカフェも併設していますが、もっと間口を広げたいとも思っていました。駅は、より開かれた場所であること、また僕自身が駅という存在が好きということもあって、今回チャレンジさせてもらったんです。
駅は シンボリックな場所だと思うんですが、人口減少に伴って、どんどん無人化したり、駅舎自体簡素化されていて、すごくもったいないなと感じていました。観光地とか場所がよければ、開発されたりもしますが、地域に根差した駅は見放されてしまうことが多いですね」
そこで塩満さんは、JR西日本の地域共生室に企画を提案。JR西日本の要望と、塩満さんのアイデアを織り交ぜながら、クラウドファンディング等を実施し、コロナ禍の2020年8月、ついに〈Agawa〉が完成しました。
「賛否両論を生む存在だと思います。もともとは前の駅舎を利用して、リノベーションをしたかったのですが、さまざまな理由から叶わず、透明な駅舎にたどり着いたんです。
土地になかったような価値観を背景に持つ〈Agawa〉や〈ruco〉に対しては、いろんな意見があると思いますが、僕はそれが大事だと思っています。新しいことへの挑戦なくして、価値観にグラデーションは生まれにくい。
何かを表現したり、変化が起こりづらい現状に違和感を抱くような人は、この土地に居づらくなって、やがて出ていくという選択を取てしまいます。結果的にその土地が廃れる原因になると思うんです。僕のあとに続く人たちのためにも、こんな場所やこんなやり方があってもいいんじゃないかって、示していけたらいいですね」
〈Agawa〉ができたとき、近くに住んでいる方に、「ここは失うものしかないと思っていたが、何かが誕生する瞬間に立ち会えて嬉しい」と言われたことが印象的だったと塩満さん。この駅舎によって、潮目が変わってきているように感じています。
存在を肯定してあげられる「場所」をつくっていきたい
塩満さんが「場所づくり」にこだわるワケについても聞きました。
「場所を通じて誰かの存在を肯定していきたいです。考えや行動に対して、背中を押してもらえる経験って大事だと思っていて、そういう場所をつくりたい。僕が世界で感じてきたことは、受け入れられること。それが自信にもつながっていると自負しています。外見だけのおしゃれなどに縛られるのではなく、どんな人がどんな面持ちで場所に立っているかが大事。
地元・山口県を出て、海外生活を送るなどさまざまな経験を重ねる中で、僕自身、人と人の価値観が交差する場所で、自分のものさしを育ててもらったと思っているので、すごく感謝しています」
地域に対して新しい視点を投げかける塩満さん。本人はまちづくりをしている感覚はないと言いますが、次の目標もとてもワクワクするものでした。
「山口宇部空港というローカルな空港があるのですが、素材の良さを生かしきれていないと感じていて。もっとお客さんを気持ちよく迎え入れて、送り出せるんじゃないかと、今は少しずつアプローチをしているところです。空港っていろんな人が出入りするエモーショナルな場所でもありますよね。そこに何かしらで関われたら嬉しいなと思っています」