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言葉③「置かれた状況の中での、自分のベストアンサーを出すことが本当の意味での責任だと思う」



Q:誰しも、大事な選択に迫られると迷いが生じるものですが、村田さんは目の前にA、B2つの道がある時、どのように進路を決めているのでしょうか。


決め方というのはないですね。 理想があっても、結局できることとできないことがありますから。「前に行こう」っていう、自分からのアクションの仕方もあると思うんですけど、他方で向こう側からくるってアクションもあるじゃないですか。

向こうから来るものにどうやって応えるかっていうことって大事だと思うんですね。例えば英語で「責任」ってレスポンシビリティじゃないですか。レスポンス。応えることじゃないですか。

Q:能動的な挑戦だけが、自らを成長させたり、成功につながるわけではないと?

チャレンジしていくことが大事だとか、みんな伝えたがるし、先に進んでいくことが大事なんだみたいなことを言いたがるんですけど、僕はそうだとは思っていないです。

今置かれた状況の中で、自分ができるベストなアンサーを出すことが本当の意味での責任じゃないかなと思いますし、前に進んでいくというアクティブさを持ってない人間に対してダメだって言うことって、ちょっと違うんじゃないかとも思っています。

今、自分に与えられたタスクに対して応えていくっていうことの方が実は大事なことであって、それが歩んでいくことじゃないかなと思うんですよね。



Q:村田さんは、今後「金メダリスト」「世界王者」という実績とどのように向き合っていこうと思っていますか?

金メダリストとか世界チャンピオンとかっていうのは、否が応でもついてくるじゃないですか。ボクシングの世界にいると「俺はミドル級の世界チャンピオンだ」ってどうしても固執しちゃうけど、世界が変わった瞬間に「固執するものでもなかったな」と思うものなんですよ。だからこそ、固執してもしょうがないし、固執することを否定する必要もないと思っていますね。

Q:村田さんが大切にしている言葉、村田さんの考えが大きく変わったような言葉があれば教えてください。

高校の監督だった武元先生にもらった言葉ですね。3年生でキャプテンだった時に、新入生に向けた部活紹介っていうのがあったんです。毎回部員が1年生に向けて「僕に勝てると思う人は手を挙げてください」って言うのが恒例だったんですが、そこで、まだ入部して2~3週間の後輩が、90キロぐらいある空手の有段者に負けたんですよ。

それで、「次は、俺とやろう」ってやったら、瞬間的に相手のボディーに一発入れてしまって…。その時に武元先生に呼ばれて、「お前の拳は、そんなことに使っちゃダメだ」と言われたんです。

自分が打ち込んでいることに対してチャレンジしていく可能性に賭けなさいっていうことを、伝えたかったんだと思うんです。その言葉自分にとって、今でも特別な言葉ですね。



Q:今度は反対に、村田さんに憧れてボクシングを始めた子供たち、スポーツに熱中している子供たちへのメッセージを、最後にお願いします。

「夢を叶えるための方法ってないですかって」よく聞かれるんですけど、「ないよ」って言うんですよ。世界タイトルマッチでの試合で、日本ボクシング史の最大の試合だとかって言わるような舞台であっても、僕は自分の主観でしかないから、高校一年生の時のインターハイ1回戦の緊張感と変わらないんですよ。

結局、目の前の1個1個をクリアしていくだけなんだって。それを積み重ねていった結果、気づいたら「金メダリストなってたな」とか「世界チャンピオンなってたな」とかそんなもんですから。

だから子供たちには「目の前のことをまず一生懸命になって、それを本当にずっと続けていったやつだけが、そこにいける。全員はならないよ」と伝えたいですね。


村田諒太(むらた・りょうた)1986年1月12日、奈良県出身。中学1年でボクシングを始め、南京都高校(現京都広学館高)時代に高校5冠。東洋大を卒業し、2012年のロンドン五輪ではミドル級で金メダルを獲得した。13年にプロ転向し、同年8月にデビュー。2017年10月にアッサン・エンダム(フランス)に勝利し、WBA世界ミドル級王座を奪取。18年10月、ロブ・ブラント(米国)に判定負けして2度目の防衛に失敗するも、19年7月の再戦で王座を奪回。22年4月にIBF世界同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)との統一戦に敗れ、王座陥落。23年3月に引退を発表した。通算戦績は19戦16勝(13KO)3敗。


Kondo Atsushi=写真
記事提供:The Wordway

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