言葉②「不正解、エラーを取り除くことは、完璧なパフォーマンスを出そうとするより大事」
Q:引退会見では「思ったよりも強く、思ったよりも弱い。思ったより美しい部分もあり、思ったより醜い部分もあった」とキャリアを表現されました。ボクシングを続ける中で、自分自身の変化をどのように感じてきたのですか? 13歳、14歳くらいでボクシングを始めたんですけど、最初は 「自分は強い」と自分自身が思いたかったし、人にもそう思ってほしかった。それを得たくてボクシングをやってきて、もちろん十分に満たしてくれる時期はいっぱいありました。
ただ、最後に思うのは、いかに自分が弱くて未熟で、それは精神性も含めてですけど、あろうことか自分の弱さを証明してしまったみたいな部分ですよね。
ボクシングは強いですよ、殴り合いは強い。そうじゃなくて、人間としていかに自分が弱かったかを知るための旅だったのかなと、この20年間っていうのはそんな感じがしますね。
Q:「弱い」というのは具体的にどういったところに感じるのですか? ボクサーとして強くなると、失うものもいっぱいあるわけです。金メダルとかを獲っていくと、もちろん世界チャンピオンの座もそうだし、有名になること、お金だったり、そこにどうしてもすがりつきたい人間としての弱さみたいなのが見えてきて、世間で得たものと同時に醜さや弱さみたいなものも得てしまうと感じましたね。
Q:最初にその弱さを感じたのはいつだったのですか? ロンドン五輪の後ですかね。ボクシングとかスポーツっていうのは、金メダルを獲ったこととか、世界チャンピオンになった、その前後にまつわることが印象深いわけであって。
例えば、金メダルを獲った瞬間は「やったー!」って、そんなもんなんですよ。その後に何が待ってるかというと、表彰され、チヤホヤされて今までにない世界を味わう。その中で自分がどういう風な振る舞いをし、どんな生活を送ってきたか、そこなんですよね。
世間の評価というのは承認欲求を満たすものであるんですけど、そこに対して満たされる承認欲求とともに、自分の中での違和感みたいなものが出てくる。結局、鶏が先か卵が先かっていう話になっちゃいますけどね。
Q:そうした「違和感」を埋めるように、現役時代、村田さんは哲学書を読んだり、新たなトレーニングもどんどん取り入れていたと聞きました。ボクサーとして不安や、迷いを取り除くために意識していたことはありますか? 結局正解はないなと思うんですよね。不正解はあるんです。エラー、これは絶対やっちゃいけないっていうことはあって、結局その不正解をしないことって、完璧なパフォーマンスを出すことよりも大事なことなんだと思うんです。
練習においても、平均を出せるってすごく大事で、どうしても調子がいい日とか悪い日とかってあるわけですよ。ただ、競技において、絶対にダメなことってあるじゃないですか。それをやれば50点は出せるわけですよ。
そこに調子がいいとか悪いとか、加点されていって、「今日のスパーリングよかったな」ってなるだけの話で、絶対的にダメなことをしないっていうベースを置いておくっていうのは大事だと思いますね。
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