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2023.05.20

ライフ

オール巨人「売れる芸人と、そうでない芸人の差は“ネタ”」約半世紀走り続けてきた漫才師の言葉



当記事は「The Wordway」の提供記事です。元記事はこちら(第1回第2回第3回)。 

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今回のアチーバーは、お笑い界の大御所である漫才コンビ「オール阪神・巨人」のオール巨人さんです。1975年にコンビを結成した巨人さんは、同期の明石家さんまさん、島田紳助さんらとともに注目を集め、正統派の「しゃべくり漫才」で人気を博しました。

多くの芸人に影響を与えた卓越した芸で、上方お笑い大賞、上方漫才大賞など数々の賞を受賞。2019年には芸術分野の業績をたたえる紫綬褒章も受賞されました。

劇場の出演にこだわり、走り続けてきた48年。壁を乗り越えるために支えとなってきた、「負けたくない」という思い、芸と向き合い続けてきたからこそ分かる、次世代に伝えたい思いとはーー。

言葉①「大きな目標に到達するために、目の前の先輩を抜こうと思ってやってきた」



Q:この春で、デビュー48周年を迎えました。まずは、巨人さんがこれだけ長い期間第一線を走り続けてこられた理由、そのために意識してきたことを教えてください。

やっぱりライバルがたくさんいてて、負けたくないというのと、お客さんが来てくれはる。待っててくれはる。ライバルは凄かったからね。紳助、さんま、桂小枝、一球・写楽さんとかたくさんいてるんですけど、昭和49年組でとにかく負けたくないというのがありましたね。

Q:近い世代の芸人に「負けたくない」という思いは、デビュー当初から強くあったのですか?

そうですね。仲いいんで、口には出しませんでしたけどね。

さんまなんかは噺家さんからタレントさんになったんですけども、漫才師も漫才ブームが来る前でしたので、のりおよしおさんも、ぼんちさんとか、いくよくるよさんもそうですし、たくさんいてはって、そこら辺に負けたくないのと、自分が目標にしてる大きなものがあって、例えばやすきよさんとか、もっともっと上のいとしこいし先生とかね。

そこまでたどり着きたいねんけれども、一挙にそこ行くのは難しいですから、目の前のちょっと(上の)先輩を抜いていきたいという形でやってましたね。

Q:なぜ芸人の道に進もうと思ったのですか?

それはやっぱりお笑いが好きだからですね。漫才というか演芸全般が好きでした。

きっかけはアマチュア番組で色んな賞を獲って、僕と阪神くんとあと2人、4人でグループを組んでてね。そのグループであっちこっちオーディションに行ってたんですが、その時にスカウトされましてね。

「その背の高いのと、ちっちゃいので漫才やれへんか」ということになったんです。オーディション会場で、急に「ええから2人なんかしゃべれ」ってね。そしたら、めちゃめちゃウケたんですよ。

ほんで「吉本入れ」ということでスカウトされて、「いっぺんやってみようかな」と思ったんです。


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