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2023.05.30

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ストリートの感覚で陶器を身近に。波佐見焼「マルヒロ」馬場匡平に聞く誕生秘話



当記事は「FUTURE IS NOW」の提供記事です。元記事はこちら
編集部が1都道府県ずつ順番に、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”をご紹介します。今回取り上げるのは、長崎県の波佐見町で、波佐見焼の商品開発、ブランディングに携わるマルヒロ代表取締役社長の馬場匡平さんをご紹介します。

 斬新なアイディアで、波佐見焼の新しい歴史を切り拓く人。

長崎県の中央に位置する波佐見町。馬場さんがブランディングマネージャー兼取締役を務めるマルヒロは、この土地で400年以上作り続けられてきた焼き物・波佐見焼の産地メーカーとして、多くのオリジナル商品を手がけています。

馬場さんが家業に入ったのは、2008年のこと。以来、代表的な〈HASAMI〉シリーズをはじめとし、〈BARBAR〉や〈ものはら〉など、多くの人気ブランドを作り上げ、波佐見焼の名前を世に知らしめてきました。

推薦してくださった小田さんは、「建築デザイナーの関祐介さんのご紹介で知り合いました。馬場さんのブランディング手腕はウェブサイトを見ていただければ一目瞭然ですが、ストリートカルチャーを陶器に取り込んだり、アーティストとのコラボだけではなく波佐見町のフェスや公園建設を企画していたり、とても視野の広い人です」と太鼓判。馬場さんにお話を伺ってみます。

編集部:こんにちは。本日はどうぞよろしくお願いします。
 
馬場さん:よろしくお願いします。
 
編集部:まずは、波佐見町について教えて下さい。どんな土地ですか?

馬場さん:波佐見町は長崎県で唯一海に面していない町です。隣には焼き物で有名な佐賀県の有田町がありますが、波佐見町も400年以上窯業を主産業としてきました。現在も町の3割近くもの人が窯業関係の仕事に従事しています。

編集部:なるほど、この波佐見町で作られる焼き物が”波佐見焼”というわけですね。

馬場さん:はい。波佐見町の焼き物作りは1598年に始まりました。もともとは隣の有田町で陶山が見つかり、日本国内での磁器生産がスタート。1年も経たない間に波佐見でも磁器が作れることが分かり、以来美術品のような高価なものではなく、日本で初めて磁器食器を安価な日常雑器として大衆に提供する産地として、その歴史がスタートしました。

かつては波佐見と大阪の淀川とを行き来する連絡線の横で商売していた「くらわんか舟」で使用されていた、“使い捨て”の食器としても使われていたと聞いています。明治、大正、昭和になると、デパートや卸問屋に卸すという形で商売を続けていて、そこからの世の中のニーズが高い、いわば”売れるもの”を時代の変化に合わせて、作り続けてきたんです。だから、見た目に波佐見焼らしい特徴というのはあまりない。実は波佐見焼という名前を名乗るようになったのも、20年ほど前からなんですよ。


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