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2023.05.04

ライフ

バスケ日本代表ヘッドコーチ、トム・ホーバス「マジックはない。選手やチームの力を信じること」


当記事は「The Wordway」の提供記事です。元記事はこちら(第1回第2回第3回)。 
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今回のアチーバーはバスケットボール男子日本代表ヘッドコーチのトム・ホーバスさんです。

現役時代にトヨタ自動車などでプレーしたホーバスさんは、引退後の2010年に指導者として日本に戻り、JX-ENEOSなどを指揮されました。

卓越したリーダーシップと采配が評価され、17年には女子日本代表ヘッドコーチに就任。21年の東京五輪ではチームを銀メダル獲得に導きました。

東京五輪後には男子代表ヘッドコーチとなり、現在は24年のパリ五輪に向け準備を進めています。勝負の世界で生き抜いてきた名将が、自身のキャリアを振り返りつつ、「結果」を残すための組織作りを語ります。

言葉① マジックなどない。ファンダメンタルがなければ、高いところには行けない

Q:東京五輪ではホーバスさんが作り上げた日本の女子バスケが世界を驚かせました。まずは、チーム作りを始める上で大切にしていることを教えてください。

いっぱいありますが、チームを初めて作る時は、まずは選手とリレーションシップ、コミュニケーションを意識します。みんなの気持ちが分かれば、もっともっと上手にコーチングが出来ると思います。その後は、1人ずつの役割を話します。

そして、「自分の役割だけじゃなくて、自分のチームメイトの役割も考えてください」と伝えます。みんながそれを分かれば、早く良いチームができる。分からなければ、チームはまずできないです。



Q:それぞれの役割を明確にすることがすべてのスタートなのですね。

(代表は)集まる時間が少ないから、私には時間がないんです。例えばある選手は(所属)チームにいるとドライブもする、シュートもする。僕は「いや、代表ではあなたはシュートだよ」「10回打ったら、8回はスリーポイントシュートを打って」と伝えます。

そういうコーチの声を聞くと、選手は迷わず簡単になるんですよ。選手たちは迷っていると足が止まります。だから迷わないコーチングをします。

Q:チーム全体のマネージメントで特に意識していることはありますか?

コミュニケーションの後はBelieve、信じてる。自分の力を信じてるかどうか、自分のチームメイトを信じてるかどうか、チームのスタイルを信じているかどうか。全員に信じてほしいから、上手によく説明します。



Q:強い組織を作るために、どうすればチームや仲間のことを信じられるようになりますか?

練習ですよ。僕は選手たちにチャレンジさせる、させたい人です。チャレンジ、大変な練習があれば、みんなちょっとピッとなるじゃないですか。

もし同じミステイクをすれば、当たり前だけど注意する。でも、毎日は注意したくないし、選手達も注意させたくないから、頑張るじゃないですか。その先にBelieveがあると思っています。

Q:日本との縁についても聞かせてください。初来日から30年以上がたち、日本人の奥様とも結婚されています。1990年に選手としてアメリカから最初に日本に来たのはどのような経緯だったのですか?

大学を卒業して、NBAのトライアウトでダメになって、ポルトガル(のチーム)に行ったんです。ポルトガルに行った1年目は、バスケットは面白かったけど、オフコートの生活がポルトガル語もあまり分からずに、つまらなかった。

仕事をしたかったんです。それで、トヨタのトライアウトがニューヨークであったので、それを受けました。NBA選手になりたくて、日本からNBAに行けるかは分からなかったけど、あの時はトヨタのオファーがベストなオファーだったから、とりあえず1年行こうと思ったんです。



Q:当時は社員選手としてプレーと平行して海外マーケティングの仕事を担当したと聞きました。満員電車で通勤されていたそうですが、初めての日本での生活はいかがでしたか?

めちゃくちゃ大変でしたが、日本の文化とか生活、ビジネススタイルもアメリカと全然違うから、毎日何か勉強になりました。今も25年、27年ぐらい日本にいるけど、毎日何か新しいことを発見して面白いと思いますね。

Q:実際に日本のENEOSから指導者としてのオファーがあったのは、引退から7年がたった時だったと聞きました。コーチに対する興味を失うことはなかったのですか?

選手を引退した時に子供が2人いたんです。サンディエゴに家があって、日本でコーチングの仕事を探したんですが見つからなかった。アメリカでも少し探したんですけど、見つからなかった。だから、普通の仕事をやりました。

条件は良かったですが、どうしてもバスケットボールのコーチをやりたかったから、(2010年に)日本のENEOSからオファーをもらって「やろう」「キャリアチェンジしましょう」と。それで、息子と2人で日本に来ました。1年目は息子と2人で、娘と奥さんはサンディエゴに残りました。奥さんもサポートしてくれて家族全員で頑張りました。



Q:日本のコーチたちと一緒に仕事をされて、アメリカでホーバスさん自身が教わってきたものと違いを感じたことはありました?

違います、全然。いつも言うけど、日本の強さは、細かいことが上手。例えば、車は開発していないけど、車を上手に作った。トヨタとかホンダとか三菱とか、上手に作ったんですよ。

けど、バスケットでは、アメリカのほうがもっともっと細かいことを上手だったんですよ。足の角度とかアングル、ポジショニングとか。(私は)大学の4年間がきつくて、大変だった。

Q:その当時に学んだことが、指導者として今も生きていると?

はい、そうです。 バスケットボールはファンダメンタルです。スポーツはファンダメンタル。間違いない。ファンダメンタルがなかったらできない。NBAに入ったときに、僕は27歳だった。27歳のルーキー。

NBAに入った時に僕のヘッドコーチは(殿堂入りの)レニー・ウィルケンズでした。彼は素晴らしい選手だったけど、コーチとしても素晴らしかった。

僕は、どれほどマジックの言葉を聞くかなと期待していましたが、ファンダメンタルだった。ハイスクールとジュニアハイスクールと一緒のファンダメンタル。だから(結局)ファンダメンタルがなければ、高いところには絶対に行けないんですよ。


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