【写真43点】「ディスク ブレイズが30周年を記念して復刻」の詳細写真をチェック ハイテクブームを牽引したプーマのマスターピース、「ディスク ブレイズ」の復刻モデルが30周年を機にローンチされた。
「ディスク ブレイズ」が発売された1993年はスニーカー業界にとってターニングポイントだった。アシックスのアルファゲル、ナイキのエア、リーボックのERS、そしてプーマのトライノミック。
クッショニングシステムの開発競争がひと段落したスニーカー業界は次なるテーマにフィッティングを掲げた。
「ディスク ブレイズ スネーク」。1万8700円/プーマ(プーマ お客様サービス 0120-125-150)
「ディスク ブレイズ」の要となるディスクシステムの仕組みはこうだ。ディスクを回すとディスクから伸びた4本のワイヤーが巻き上げられる。すると、ワイヤーに連動した樹脂製のサイドユニットが締まっていく――という寸法である。
エアロプレーン、いまでいうネオプレーン製ブーティーを搭載したそのスニーカーはすでに優れたフィット感を手に入れていたが、これをさらに向上させるべく考案されたのがディスクシステムだった。
「ディスク ブレイズ OG」。1万7600円/プーマ(プーマ お客様サービス 0120-125-150)
「’92年のバルセロナオリンピックに向けて開発は急ピッチで進められました」(トレード マーケティング マネージャー、野崎兵輔さん)。
ディスクシステムをはじめて搭載したモデルは’91年に発売された「XS7000」。’92年にはスパイク・バージョンが完成し、くだんのオリンピックでは100メートル走のリンフォード・クリスティ、走り幅跳びのハイケ・ドレクスラーが履いて金メダルを獲った。
この成功を受けて登場したのが「ディスク ブレイズ」である。
ワイヤーフィッティングに目をつけた慧眼
1993年に登場した「ディスク ブレイズ」のオリジン。
「ディスク ブレイズ」は「XS7000」に比べれば甲は高く、ディスクシステムは立体的に、ネオプレーンのパディングは厚くなった。生産国はドイツからアジアへ移した。これによりプライスゾーンを1万円近く下げることに成功し、ストリートで支持される土台を整えた。
ディスクはいまやスノーボードシューズなどのパフォーマンスシューズにおいてスタンダードなコンストラクションになった。ライバル各社は“空気”に注目した。
そんな動向には目もくれず、“ワイヤー”で勝負をかけたプーマの慧眼には驚かざるを得ない。
ソールには前述のトライノミックを搭載した。ハニカム構造によりクッション性と衝撃吸収性を両立させるもので、初出は1989年。完成当時は“CELL ADVANCED TECHNOLOGY SYSTEM”の頭文字をとってキャッツと呼ばれていた。
トライノミック(=TRINOMIC)の“TRI”は3を意味するラテン語で、クッション、反発、障害防止の意を込めた。そのコンストラクションは現在のセル・テクノロジーに引き継がれている。
錆びつかないテクノロジー
「ディスク ブレイズ レオパード」。1万8700円/プーマ(プーマ お客様サービス 0120-125-150)
このたび復刻を果たした「ディスク ブレイズ」はディスクシステムもトライノミックも当時のそれを採用している。ディスク機構は’94年に登場したアップデート・バージョン。従来は緩める際、ディスクをプッシュする必要があったが、このディスクはタブを引っ張るだけで済む。
「ディスク ブレイズ OG」。1万7600円/プーマ(プーマ お客様サービス 0120-125-150)
ストリート向けとはいえ、30年経っても経年劣化を起こさないポテンシャルには舌を巻く。
カラーバリエーションはオリジンへのオマージュを捧げるグリーンのほか、ネイビー、ブルー、そしてレオパードとスネイクというアニマルプリントの全5色。どこか懐かしさを感じさせるレトロ・フューチャーな佇まいにしっくりくるラインナップである。
「ディスク ブレイズ OG」。1万7600円/プーマ(プーマ お客様サービス 0120-125-150)
基本構造は変わらないが、細かなところはブラッシュアップされている。前足部のオープンメッシュは目が細かく、通気性の高いものに、ミッドソールは最新のEVAに変更された。
その価値を見出したのは、あのスニーカーショップ
「ディスク ブレイズ」の立ち上がりの状況は残念ながら芳しいものではなかった。しかし、それも当然だろう。従来の価値観ではかれるものではなかったのだから。
野崎さん私蔵の「ディスク ブレイズ レザー」。
パラダイムシフトを起こしたのがテクテックの関村求道さんだった。
テクテックはスニーカーショップの先駆的存在であり、関村さんはスニーカーをストリートに引っ張り出した立役者である。かれが日本SMUモデルとしてつくったのが「ディスク ブレイズ レザー」。これが爆発的にヒットした。
ビームスが最初に仕入れたプーマも「ディスク ブレイズ」だったが、そのきっかけもテクテックだった。テクテックに足繁く通っていたビームスのバイヤーが「ディスク ブレイズ」の商談の最中に店を訪れて見初めたのである。
ビームスは創業35周年の年にも「ディスク ブレイズ」のアップデート・モデルを限定リリースした。
そのムーブメントは海外にも飛び火した。テクテックは海外の業界人やDJなどのインフルエンサーの溜まり場になっていた。逆輸入のかたちで海の向こうでも派手に燃えた。
ファンならご存じのように、コラボレーションも盛んに行われた。アレクサンダー・マックイーン、ア・ベイシング・エイプ、ミハラヤスヒロといった名だたるブランドがコラボの相手に指名してきた。
「ディスク ブレイズ」は単純にいまみても格好いいが、なによりもライバルとは異なるアプローチで開発競争に挑んだ事実にしびれる。オーシャンズ世代が玄関に並べてしかるべき一足である。
[問い合わせ]プーマ お客様サービス0120-125-150