まもなく47歳を迎えるシンガーソングライター、森山直太朗。
『さくら』『夏の終わり』『生きとし生ける物へ』『生きてることが辛いなら』など、時代を超える名曲を20代の若さで発表し、それから20年以上が経つ今もフォークの頂点に君臨し続けるアーティストだ。
3月24日(金)に全国公開される映画『ロストケア』(松山ケンイチ×長澤まさみ)では、主題歌『さもありなん』を書き下ろしている。
森山直太朗●1976年東京生まれ、フォークシンガー。26歳でメジャーデビューし、『さくら』『夏の終わり』を翌年に発表。全国100カ所以上をまわる20thアニバーサリーツアー「素晴らしい世界」はそろそろ折り返しを迎えたあたり。1月23日には自身初となる弾き語りベストアルバム『原画I』『原画II』をリリースした。
▶︎すべての写真を見る まさにオーシャンズ世代ど真ん中の森山。
その美声からは想像し難いかもしれないが、実は中高時代のすべてをサッカーに捧げた体育会系。9年前には地方に山小屋を購入した、2拠点生活の走りでもある。
そんな彼が、実はコロナ禍で死の淵にいたことは意外に知られていない。
40度の熱にうなされた10日10晩
「2021年の夏にひょんなはずみで、コロナにかかりました。振り返ると、免疫が一番低くなってたタイミングだったと思います。2カ月弱のドラマ撮影を根を詰めてやり終えた頃だったので」。
2年前の夏といえば4回目の緊急事態宣言が発令され、感染者数が爆発的に増えていった時期と重なる。
「一週間くらい安静にしていれば治るだろうと高を括ってたんですけど、40度の熱が10日10晩続きました。酸素濃度が規定の数値を大幅に下回っちゃって……。孫悟空の輪っかに頭を締め付けられているような痛みにのたうち回ってました」。
大男3人に追いかけられる悪夢のループ
感染者数とともに速報で流れる死者数を横目に、呼吸がしにくくなり、息が苦しくなっていく自分。森山は「この状態が続けば、きっと体は耐えられなくなる」と感じたという。
「当時は未曾有の感染症として、どう対処していいのか誰も分からなかったじゃないですか。この先に死があるんだろうなって、少しずつパニックになっていきました。あそこまでフィジカルと精神が追い込まれたことはなかったですね。少なからず死は意識しました」。
床に臥している間は悪夢にもうなされた。その夢は今も鮮明に覚えている。
「漆黒の森の中を3人の大男に追われ続ける夢でした。走り続けてるとドアが現れるんですけど、向こうにはまた同じ漆黒の森があるという悪夢のループ。
僕は覚えてないんですけど、看病してくれていた家族によると『お前、もうあっちに行ってくれ。いるのはわかってるんだよ! お前がそこにいるのは分かってんだよ!』って言い続けていたらしくて……。自分の心の奥にある闇がマウントを取ってくるっていう怖い夢です(苦笑)」。
「排泄するだけで涙がこぼれた」
水さえ飲みたくない状態が続き体重は8キロ落ちたが、10日後から徐々に熱は下がり始めた。
無事に生還したからこそ振り返ることができるわけだが、死を身近に感じた体験は、森山に強烈な生への意識を呼び起こさせたという。
「高熱や悪夢にうなされてても、明け方のほんの一瞬だけ、症状が鎮静するときがあったんです。換気のために窓を開けてもらったら斜陽が差し込んできて、カーテンが風に揺れて、その向こうからは、幼稚園児の笑い叫ぶ声がサラウンドでこだましてて……。
薄れている意識のなか、自然と涙がこぼれてきたんです。大げさな話に聞こえると思いますけど、『あぁ、僕はいま生きているんだ。体は生きようとしているんだ。それ以外に何を求めることがあるんだ』って。変な話、排泄ひとつしただけで涙が出てきました」。
死をリアリティとして感じられない時代
「解剖学者の養老孟司さんも言ってましたけど、現代に生きる僕たちは、死が身近になさすぎると思うんです。戦争も飢餓もないのは豊かさの象徴でもあるけど、死がリアリティとして感じられない。
いずれ自分は死ぬんだということが実感できれば、普段、しがみついたり執着していることは大抵とても些末なことなんだと気づく。僕らは幸せや豊かさを外側に求めがちだけど、なんてことはない、自分の中にあるんだっていうことを僕はコロナで身を持って体験して、それを歌にしたのが『素晴らしい世界』です」。
闘病体験をもとに生まれた『素晴らしい世界』。-世界と完全に分断され、社会と隔絶された深い闇に身をおく時間 に「素晴らしい世界」は自分の中に内包されていることに気づく。静寂とそこにある歌声、パイプオルガンの音色。緊張感の中に、すべてを集約した楽曲-(森山直太朗公式YouTubeより)
「表現が楽しいと思ったことはなかった」
話はコロナ前に遡る。実は2019年頃から、森山の体には異変があらわれていたという。
「ぱっと見、僕は安定した音楽活動ができてるタイプに見られがちなんですけど、実は『人間の森』ツアーの後、この先はもう歌えなくなるぞっていう危機感があったんです。精神的な負荷がたたって、顔面麻痺や発声障害にもなりました」。
まるで、ステージで歌う森山を阻むかのような症状。自分にばちが当たったんだと振り返る。
「もともとは、部屋の片隅でひとりギターをぽろろんって鳴らして、いじけた歌を歌ってたのが始まりなのに、気づいたら大きなステージに立って自分に照明が当たっていた。正常ではいられない世界に来てしまっていたんです。
お前は本当に心の底から喜んでるのか?って問われたら、それは遠くかけ離れていました。表現をすることは苦痛を伴うもので、1ミリも楽しいと思ったことはなかったんです。人の期待に応えることがひとつの基準になっていた。自分をないがしろにしてきたから、ばちが当たったんだなと思いました」。
無垢になればなるほど音楽は波紋のように広がる
『人間の森』ツアーとは、森山が2018年から’19年にかけて全国を回ったものだ。つまり、顔面麻痺や発声障害といった異変の少し後に、森山はコロナにかかったことになる。まさに踏んだり蹴ったりの状況だ。
「だから僕は神様に2回大きなカミナリを落とされたんです、最悪ですよね(笑)。でも、それだけ自分の虚像が大きくなっていたんだと思います。表現に関して突き詰め方が甘かったし、それがわかっていたのに問題を先送りにしていた。コロナの悪夢で僕にマウントを取ってきた闇っていうのもそれなんです。
体を壊してコロナに罹患して、本当にやりたいことや向き合うべきことに立ち返れたのは、僕にとって紛れもない転換期でした。この2つがなかったら、自分の足で立つことはなかったかもしれない」。
デビューからずっと二人三脚で音楽制作をしてきた詩人の御徒町凧氏と袂を分かち、あえて一人に戻って活動をリスタートする決断はファンを驚かせた。森山は40後半にして独り立ちしたのである。
「人間って、生きながらにして生まれ変われる生き物だと思っています。そのタイミングが僕にとってはコロナだった。もっともっと無垢で純真な自分はいるんだろうし、そうなればなるほど、音楽は波紋のように遠くに広がっていくんだって信じてます」。
◇
学校の教科書に載るほどの名曲を残し、ドラマや映画の主題歌を担当し、途切れることなく社会から求められている森山だが、本人曰く、第2の音楽人生はいま始まったばかり。
インタビュー後編では最近リリースしたばかりの弾き語りベストアルバムの話から、森山の趣味である珈琲や山小屋暮らしまで語ってもらう。
▶︎記事後編はこちら!