「弊社の看板娘」とは…… 先日、酒場で隣の席の紳士の話が耳に入ってきた。いわく、高校生の息子が「脱毛したいからお金を貸してほしい」と頼んできたというのだ。おお、時代は変化しているようだ。
そこで、今回訪れたのは脱毛サロン。
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JR西立川駅から徒歩で10分ちょっと。
「会員制プライベート脱毛サロンNOA(ノア)」に到着した。
会員制とはあるが、現在は別価格で非会員も受け入れている。
![3階に上がると、さっそくカウンセリングルーム。](https://images.oceans.tokyo.jp/media/article/42098/images/editor/82293481aa8531ebd4fcf18d2b3d2c649541c1d5.jpg?h=877)
3階に上がると、さっそくカウンセリングルーム。
さらに奥にはーー。
![いました、看板娘。](https://images.oceans.tokyo.jp/media/article/42098/images/editor/ca7ed77473b8651f018a6fd027dce11b7295ff55.jpg?w=850)
いました、看板娘。
では、ご登場いただきましょう。
![「よろしくお願いします」。](https://images.oceans.tokyo.jp/media/article/42098/images/editor/f0b3d3ffbbc1d3bb8453c06c5843528cccb579c3.jpg?h=940)
「よろしくお願いします」。
こちらは東京・町田で生まれ育った齊藤千惠さん。
「子供の頃はやんちゃで、公園の鉄棒の上に座ろうとしたら失敗して、コンクリートの地面に落ちて腕を骨折したこともあります。お母さんがスパルタだったので『湿布貼っとけば治るよ』と言われて、骨が折れたまま学校に通っていました」。
しかし、やがて腕はパンパンに腫れ、出張から帰ったお父さんが驚いて病院に連れて行く。緊急手術で事なきを得たそうだ。
中学では「ハンドメイキング部」に入部。部員たちと和洋中、いろんな料理のレシピを研究した。
「おばあちゃんが作る煮物がすごく美味しかったんです。両親も料理が好きで、小さい頃から包丁を握って魚を捌いたりしていました。私はオムライスとかの洋食が好きで、自分でよく作っていました」。
![ハートが可愛い洋食たち。](https://images.oceans.tokyo.jp/media/article/42098/images/editor/a324dc2c3317a36a525d3ae154957b56d4b28a16.jpg?w=850)
ハートが可愛い洋食たち。
高校に進学すると、なんとヘビメタにハマる。
「マリリン・マンソンを好きになって、そこからデスメタルの世界を知りました。KISSも好きでした。もともと、ピアノを16年間習っていたので、音楽は好きだったんです」。
高校時代に始めたソロ活動の名義は「ste_l(スティール)」。現在は活動を休止しているが、つい最近までライブなども行なっていた。
下の写真は昨年のライブ。本気です。
![もちろん、中央が千恵さん。](https://images.oceans.tokyo.jp/media/article/42098/images/editor/2ccb65ee4d8fdd798d1148140b60b93e51167541.jpg?w=850)
もちろん、中央が千惠さん。
白粉は歌舞伎役者が使うもので、血糊は100均で買っているという。
![知り合いのイラストレーターに描いてもらったアーティストグッズ。](https://images.oceans.tokyo.jp/media/article/42098/images/editor/461263017fcbca1738d84fc7774f383e3bddc84d.jpg?h=1036)
知り合いのイラストレーターに描いてもらったアーティストグッズ。
また、昔からモノづくりも好きで、ライブ会場ではオリジナルのグッズを販売していた。
![自信作はクリームソーダのキーホルダー。](https://images.oceans.tokyo.jp/media/article/42098/images/editor/fbbc58f600a4e23caab6913e50ff8faae7c101a8.jpg?w=850)
自信作はクリームソーダのキーホルダー。
料理好きだった千惠さんは、調理師専門学校に進学することを決意。学費を稼ぐために定時制の高校に通いながら、さまざまなアルバイトをこなした。
「地元のスーパーのレジ打ちや工場でお惣菜を詰めるアルバイトを掛け持ちしていました。めちゃくちゃ大変でしたけど、休憩時間にパートのおばちゃんたちが学校の悩みとかを聞いてくれて癒されました」。
調理師専門学校を卒業後は、鎌倉や江ノ島でイタリアンとフレンチを学んだが、その仕事を辞めてからは、こちらも以前から興味があったネイリストの仕事に就く。
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