一方、1990年代から2000年にかけてDragon AshやRIPSLYMEなど日本語ラップが流行ったころ、高校生だった呂布は地元・愛知をレペゼンする伝説的ラッパーTOKONA-Xが表紙を飾っていたヒップホップ専門雑誌を買ってから、アンダーグラウンドのラップにものめり込んだ。
卒業後は就職をせずにフリーターとして、漫画家デビューを目指して漫画だけを描く生活に。だが、こもって黙々と制作する生活が退屈に感じ、「息抜きのため」自分でラップのリリックを始めた。
「大学を卒業してすぐ、名古屋のクラブに連絡してラップのステージに出るようになりました。いきなり人前に立てて、それが評価されることは快感でしたね」
親に対しては漫画を描くふりをして、名古屋だけでなく全国のラップのステージに立ち続けた。すると、早くも音楽関係者の目に留まり、ラッパー2年目には自身の曲が1曲だけ収録されたCDが全国発売されるように。
「アンダーグラウンドの世界って、メジャーに比べて言葉の制約がなく、こんなことを歌って逮捕されないのかなと思うほど衝撃だった。言葉の使い方が全然違って、韻を踏むという言葉遊びの面白さにもハマりました」
プロラッパーの目標は「たかじんになりたい」
20代はフリーターで、30歳を過ぎてから教育塾の教室長として雇われ、働いたこともある。ラップを始めて10年、じわじわと稼げるようになっていき、32歳でプロのラッパーとして生活できるように。今から8年ほど前のことだ。
彼の人間性をシニカルに表す呂布の楽曲がある。やしきたかじんをオマージュした「ヤングたかじん」だ。その歌詞には「i’m ヤングたかじん 尊い魂 おととい来い子供騙し」や「俺は若い頃のたかじんになりたい/黒人よりもi wanna be a たかじん」とダウナーなビートに乗せて、ストレートにたかじん愛を歌っている。
なぜ、やしきたかじんなのか。「音楽活動をしていくにつれて、ミュージシャン全体で見るとどうなっていきたいか考えると、たかじんになりたいと思いました」という。昼間はテレビ出演し、切れ味鋭いストレートな物言いでお茶の間の顔となり、夜の街では豪快なエピソードにことかかない。
また呂布にとって「テレビに出ない版」のロールモデルもいる。それは井上陽水だ。「全国的に知られる歌手で『少年時代』は教科書にも載るスーパークラシック。だけど、楽曲作りでは攻めたことをやっている。怪人感がありますよね」。呂布なりに自身のキャリアを真剣に考えた末に出した理想像だ。
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