愛知・岐阜で開かれる「ひつじサミット尾州」のアンバサダーを務める、ラッパーSEAMO
当記事は「Forbes JAPAN」の提供記事です。元記事はこちら。 規模が小さくても大きく飛躍する可能性のある企業を発掘する「
スモール・ジャイアンツ」で出会った尾州ウール産地。上質な手触りで、防臭、吸湿性など機能性も高く、海外のメゾンブランドも指名する高級生地を手がける企業が多い。
尾州産地は、岐阜県羽島市から愛知県一宮市にかけて木曽川沿いに広がる。そんな繊維の一大産地を盛り上げようと、アトツギたちが昨年から始めた
産業観光イベント「ひつじサミット尾州」がことしも、10月29日、30日に開かれた。繊維工場や飲食店など40以上の事業者が参加し、子どもから大人まで楽しめる文化祭のようなイベントだ。
地元発・全国的な知名度を有するラッパーSEAMOが「繊維のまちからカルチャーを発信したい」と、昨年からひつじサミットのアンバサダーを務めている。イベントのオリジナルソング『紡ぐ』を発表し、30日には後夜祭ライブも実現。なぜ、レペゼン名古屋として知られるSEAMOが尾州産地の盛り上げ役として熱を入れているのか。ひつじサミット尾州・実行委員長の伴染工(愛知県一宮市)伴昌宗専務とともに話を聞いた。
時を経てお手伝い これは「運命」
──SEAMOさんは名古屋を拠点に全国的な音楽活動をされていますが、なぜ「ひつじサミット尾州」のアンバサダーを引き受けたのでしょうか。 SEAMO:ライブ活動は、名古屋を拠点に全国を回りつつも関東方面が多かったんです。その活動がひとまわりして、自分の中で何をしたいか見つめ直し、目を向ける余裕が出てきたんです。僕は名古屋人である前に、一宮出身。一宮市は七夕まつりが全国的に有名で、同級生が呼んでくれて小さなライブをしたことはあります。ずっと地元のためになる大きなことに協力したい気持ちがあった。そしたら、ちょうどひつじサミットの実行委員会からお声がかかって「ぜひやらせてください」と即答しました。
それと、実は祖父が一宮の毛織物工場で働いていたんです。戦後繊維や紡績などで景気が拡大した「ガチャマン景気」と呼ばれた時代があり、祖父も尾州の仕事で財を成したと、子どものころ親からよく言われていました。実家の近所に仕事場があり、三角屋根の工場の風景はよく覚えています。祖父は戦争に行って、無駄遣いをせず厳しさがありましたが、お金の使い方は印象的でした。おもちゃや漫画はダメでも、僕に本革のランドセルや良い文房具を買ってくれたり、子どもの未来のためのお金は惜しまず使う人でした。
そんな縁から、時を経て尾州産地のお手伝いができることが嬉しい。運命を感じますね。
──伴さんは、SEAMOさんをアンバサダーに起用するため推した張本人だと聞きました。 伴:私は社会人として15年ほど地元を離れていましたが、5年前に家業のため戻ってきてラジオをよく聞くようになったんです。SEAMOさんのZIP-FMの番組もよくお聞きしています。全国的にも有名で、私のようにSEAMOさんの音楽を聞いて青春を過ごしていた30~40代のアトツギも多く、ぜひ一緒に尾州産地のことを盛り上げてほしいと思いました。
SEAMOとひつじサミット尾州実行委員長の伴昌宗
──若手の後継者たちが尾州産地を盛り上げていることはご存じでしたか。 SEAMO:尾州のことは知ってましたが、多くの毛織物産業が廃業していくなかで今も産地として顕在していることに驚きました。昨年ひつじサミット尾州に参加してみて、社長さんや工場で働かれている人などいろんな方にお会いしました。現代的なプロモーションが上手な社長さんもいますし、職人気質の方も。皆さんが誇りをもって、尾州ウールを愛していることが伝わってきました。
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