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2022.12.05

ライフ

W杯史上初の女性審判員へと導いたのは、渋々のキャリア転向だった

11月27日、ベルギー対モロッコ戦で第4の審判員に指名された山下良美(Photo by Michael Regan - FIFA/FIFA via Getty Images)

11月27日、ベルギー対モロッコ戦で第4の審判員に指名された山下良美(Photo by Michael Regan - FIFA/FIFA via Getty Images)

当記事は「Forbes JAPAN」の提供記事です。元記事はこちら

カタールで開催中のサッカーW杯で、新たな歴史を切り拓いた日本人女性がいる。

11月23日のベルギー対カナダ戦でW杯デビューを果たした山下良美は、カタール大会の審判に選出された唯一の日本人で、男子W杯史上初となる女性の審判員だ。29日(日本時間30日4:00)に行われるウェールズ対イングランド戦でも第4審判員を担当する。

山下は、10月6日に開催された「Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2022」の個人部門で「パイオニア賞」を受賞。授賞式では「審判員は賞をいただく機会がほとんどないのでとても嬉しい」と、感極まる様子を見せた。

彼女が歩んできた意外な道のり、自身が感じている責任とは。


FIFAワールドカップ(W杯)で、女性の審判員が初めてピッチに立った。カタール大会の主審に選ばれた女性審判員は世界で3人(副審3人を含めると計6人)、そのうちのひとりが日本の山下良美だ。

「これがどれほど重要なことか、わかっていただきたい」

日本女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)初代チェアの岡島喜久子は、こう訴える。W杯の大舞台に抜てきされたというインパクトはもちろんのこと、男性中心の日本のサッカー界に与える影響も計り知れないという。

1次リーグF組のベルギー対カナダ戦でW杯デビューを果たした山下 (Photo by Etsuo Hara/Getty Images)

1次リーグF組のベルギー対カナダ戦でW杯デビューを果たした山下 (Photo by Etsuo Hara/Getty Images)


ボードを掲げて選手交代を告げる山下の凛々しい姿も話題に (Photo by ProShots/Icon Sport via Getty Images)

ボードを掲げて選手交代を告げる山下の凛々しい姿も話題に (Photo by ProShots/Icon Sport via Getty Images)


4歳からサッカーを始め、大学では女子サッカー部に所属。選手から審判員に転じたのは、先輩に誘われたからだ。「正直、興味もないし、あまりやりたくなかった」(山下)。渋々踏み出した一歩が、彼女の人生を大きく変えた。

現在、日本サッカー協会に登録している審判員は26万人を超えるが、国際主審は男女合わせて11人のみ。山下はその狭き門を突破し、2015年に国際審判員になる。女子W杯や東京五輪で主審を務め、昨年5月、Jリーグ28年の歴史で初めて女性の主審として男子の試合を裁いた。

「Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2022」では、先駆者として道を切り拓いた女性に贈られる「パイオニア賞」を受賞した。

これについて山下は「パイオニアはこれまで地道に道を切り拓いてくださった先輩の方々、そして審判仲間、たくさんの機会を作り出してくださっている日本サッカー協会、AFC、FIFAの方々です。私はそのなかの一人」と、謙虚に語る。

Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2022の個人部門受賞者とともに。左から、東京工業大学准教授の星野歩子、高知銀行常務取締役の三宮昌子、ポーラ代表取締役社長の及川美紀、サッカー国際審判員の山下良美、ANRI代表パートナーの佐俣アンリ

Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2022の個人部門受賞者とともに。左から、東京工業大学准教授の星野歩子、高知銀行常務取締役の三宮昌子、ポーラ代表取締役社長の及川美紀、サッカー国際審判員の山下良美、ANRI代表パートナーの佐俣アンリ


「(Jリーグで主審を務める女性は)いまは私1人しかいませんが、この機会を継続していって、男子の試合を女性審判員が担当することが当たり前になるようにしたい」

審判員は選手と違い、チームで練習するわけではない。トレーニングは孤独だ。だが、世界のどこかで笛を吹いている仲間がいると思うと「独りじゃない」と感じる。

W杯は、海外の女性審判員と顔を合わせる貴重な機会でもある。サッカーが女性活躍をけん引する──そんな思いを共有する仲間が、山下にはいる。



やました・よしみ◎1986年、東京都生まれ。東京学芸大学卒業。2012年に女子1級審判員、15年に国際審判員に登録。19年女子W杯、21年東京五輪で主審を務める。22年7月にプロレフェリー契約。



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