眠りから覚め、また新しい1日が始まる。スマホのアラームを止め、メールやSNSを軽くチェックし、ベッドから出て身支度をする。多くの人は何の疑いもなく、そうやって無意識のうちに体を動かしている。
しかし、武藤将胤さんの場合は違う。
武藤将胤(むとうまさたね)●1986年LA生まれ、東京育ち。「ALSの課題解決を起点に、すべての人が自分らしく挑戦できるBORDERLESSな社会を創造する」ことをミッションに、クリエイティブでエンターテインメント、テクノロジー、介護の3領域で課題解決に取り組んでいる。
▶︎すべての画像を見る 武藤さんの朝は、昨夜まで動いていた指や腕、脚、目、まぶたがまだ動くかどうかを確認する作業から始まる。
3年前までは発声も確認していたが、今ではその必要もなくなってしまった。誰かに抱き起こしてもらうまではベッドから動くこともできない。
体中の筋肉が思うように動かなくなる「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」。
身体機能が徐々に制約されていく難病で、歯磨きもトイレも人にやってもらわなければいけない。最終段階まで行くと目も開けられなくなるが、現代医学では原因が分からず、未だに治療法はない。
絶望的に聞こえるかもしれないが、武藤さんは当事者として決して諦観していない。
「僕のライフスタイルを見て希望を感じてもらえたら、たとえALSになったとしても人生を諦めないで済む。ぜひ希望を感じてくれる人が増えてほしいと願っています」。
ALSの宣告から見えた一筋の道
SHUN SUDOとBE@RBRICKのコラボレーション作品。ポップアートが大好きな武藤さんの自宅はアート作品で溢れている。
武藤さんがALSを発症したのは9年前。大手広告代理店の博報堂で広告プロデューサーとして働いていた26歳の頃だ。
「当時はエネルギーに溢れていたので、深夜まで仕事をしてクラブに行き、朝方4時頃まで遊んだら家で少し仮眠して、朝7時にはテレビ局に向かうのが日常でした。左手にしびれを感じ始めていましたが、疲れのせいだと思ってたんです」。
忙しさにかまけてしばらく異変を放置したが、症状が良くなることはなく、武藤さんは整形外科を受診。神経内科や大学病院を転々とし、ようやく東北大学でALSと診断されたのはしびれを感じ始めてから一年後のことだった。
宣告された病院の待合室では、堰を切ったように嗚咽がこぼれたという。
「どん底に突き落とされたような感覚でした。僕は死ぬのだろうか、この年齢で人生が終わるのだろうか。夢は? 将来は? って。
でも、ALSと宣告されて自分が何と闘うべきかが分かり、ある意味で一筋の道が見えました。1年以上も病名がはっきりせず、ずっともやもやとした暗闇の中にいましたから」。
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