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2022.11.13

ライフ

「正しさを疑え」。経済小説「ハゲタカ」の作家・真山仁さんが大切にする言葉


当記事は「The Wordway」の提供記事です。元記事はこちら(第1回第2回第3回)。

「昨日の自分を超える」をテーマに各界のトップランナーの言葉を音声とともに届けるメディア『THE WORDWAY』。音声を楽しみたい方はオリジナル版へ。

今回のアチーバーは「ハゲタカ」シリーズなどで知られる作家の真山仁さんです。

高校生の頃「小説家になる」と決意した真山さんは、新聞記者、フリーライターを経て、2004年に企業買収の裏側を描いたデビュー作「ハゲタカ」が大ヒット。一気に人気作家の仲間入りを果たしました。

その後も、原発のメルトダウンに迫った「ベイジン」、農薬をテーマに日本の食のあり方を問う「黙示」など、幅広い社会問題を現代に問い続けてきました。

難しい時代の中で壁を乗り越えるために、何を考え、どう行動すべきか―。真山さんの「WORD」の中から、壁を乗り越えるヒントを見つけてください。

言葉①自分が自然にやっている事を「変わってる」と言われたら、「褒めてもらっている」と思えばいい


Q:現代社会の闇に迫り「未来を予言している」とも言われる真山さんですが、作品を通して伝えたい思い、書き続ける原動力はどこにあるのでしょうか?

モチベーションが続いている一番の理由は、私がデビューした2004年から日本がどんどんダメになってるからです。幸か不幸か、私の小説は「このままではダメでしょう」と言い続けてる。

ただ、私の力不足もありますが、若い人の無関心や、年寄りの傲慢さは増すばかり。だから、怒りの矛先も、言いたいこともどんどん増えてくるわけです。 現実と競争しているんですよ、今やってることって。



Q:小説家を志したのは小学生の時だったそうですが、どのようなきっかけだったのですか?

相当変わっていて、みんなが右を向いてる時にいつも左を向いてるような天邪鬼な子どもでした。小学校の5~6年生ぐらいになって、学級会をやると、先生の意向を汲んだ、先生の代弁者が学級会を仕切り始めるわけです。

始めはそれを黙って聞いてるんですけど、そのうち「なぜこれを通すのか説明して欲しい」と指摘したり、提案したりする。結局、ものの15分で逆転して、最後は皆が私の意見に同意する、というようなことが頻繁にあったんです。

Q:学級会の流れを変える指摘や、人の考えが変わる瞬間に楽しみを感じたということですか?

私にとっては当たり前の気づきというか、違和感が発端なんです。私はおかしいなと思ったら口に出す。いつもそういうパターンだから「ちょっといいですか」と私が言った瞬間に、クラスの雰囲気が「ほら始まるよ」ってなるんですね。人とは違うものが見えていると意識するようになりました。

わざとやっていたわけではなかったのですが。 友達と話してて「変わってる」「ちょっと他の人と違うって自覚したほうがいいよ」って言われた時に、もしかするとこういうのも才能っていうのかなと思ったんです。



Q:幼少期に抱いた違和感が、その後の真山さんの考えのベースになっていったと?

私にとって、小説家の仕事は「人に選択肢を伝えること」なんです。学級会の話をしたけど、提案通りでもいいんです。

いいんですけど、何かを決める時にイエスかノーかではなく、もう1つ提案があって、せめてこの2つの中で選ぶ。今ある流れに乗るのもいいけど、反対に考えるのも大事で、それが多分私の一番やりたいことなんです。

Q:他者から「変わっている」と言われたことを才能だと捉え、人生を切り開く力に変えていったように感じるのですが、真山さんのように振る舞うためにはどのように考えれば良いのでしょうか?

人と違うことって多くの人はネガティブに感じるんですよね。みんなと一緒がいいというのが、この国の文化ですから。でも、みんな少しずつ違う。それを褒めてくれたり、認めてくれる人がいたらラッキーだし、多分伸びるんですね。

成功してる人の大半はそうです。でも、私にはそういう人はいなかった。ただ結果的に私がやったことが、自分が伝えたい人にうまく回ったんですよね。

だから、人間の生き方って、これすごく大事だと思うんですけど、「変わってることをネガティブに考えてはいけない」ってのは誰でも言うんですけど、そうではなくて、自分が自然にやってる事を「変わってる」って言われたら、「これは褒めてもらってるんだ」ってポジティブに自分がどう思えるかなんですね。



Q:03年、40歳の時に経済小説「ダブルギアリング」を出版されました。生保会社OBの方と共著という話だったそうですが、そこまでに年齢的な焦りなどはなかったのですか?

10代で小説家になると決めてから、5年~10年刻みで目標やここを越えなきゃいけないんだというハードルを想定していました。

私の場合は、40歳までにデビューしたいと思っていて、偶然それが巡ってきた。ただし、ハンディが2つあって、1つは共著であること、もう1つは読んだことすらない経済小説だということです。

Q:迷いや不安はなかったのですか?

当然、全く人生の接点がない人間が一緒に書くことに、難しさは感じていました。ただ、年齢ってすごく大事で「40になってまだ小説家志望ですって言ってるお前はなんだ」と。

20歳から30歳までは何をやってもいい。30代は行く方向を絞る時期、40には結果を出すんだと自分で決めていたんですよ。だから、「結果が出て、評価が良ければ、次は1人で書かせてほしい」と出版社に交渉しました。

お陰様で全くの無名の新人のわりには、それなりに部数も伸びて、ミッションが達成できた。それで、「じゃあ、約束だから」と書いたデビュー作が、「ハゲタカ」だったのです。


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