「シュイナードは独学で鍛治技術を身につけ、当時、自分でデザインし製作した独創的なピトンやカラビナなど、さまざまな登山用具を売って細々と生計を立てていた」(ジョン・クラカワー著『エヴェレストより高い山』「ヴァルディーズの氷」より)
当時のシュイナード氏は「一年の大半を、石炭を燃料にした持ち運び式の炉を手に山岳地帯を渡り歩いて過ごし」、「その間の収入は雀の涙とすら言えないことが多かった」という。「あまりにも懐が寂しくなりすぎて、彼と山仲間はシマリスやヤマアラシで飢えをしのがなければならないことすら度々だった」。
「アイス・クライミングギアで儲かったことはない」
「シュイナードは現在51歳(書籍刊行当時)。今でも水準の高い登攀をし、世界最高と折り紙つきのアイス・クライミングギアを作り続けている。(中略)だが、今ではまずまちがいなく、たとえどんなに高級品だろうが、ペットフードは食べていないはずだ。なぜなら、1957年におんぼろフォードの後部で始めた登山用具の会社は、年間7000万ドル以上を売り上げる一大企業に急成長を遂げたのだから。
この莫大な収入はアイススクリューやピッケルやアイゼンではなく、パタゴニアというブランドで市場に出る、おしゃれで実用的なアウドドア・ウェアーパーカー、レインウェア、足首まであるズボン下などーの売り上げによるものだ」
シュイナードは言う。「実のところ、アイス・クライミングギアで儲かったことは一度もないし、また、儲けようと思ったこともない」と。
熱狂的にクライミングに打ち込みクライミング用の用具を細々と作って売っていたフェーズから方向転換し、セカンドキャリアとも言うべき、アウトドアウェア事業の成功へ。そして、数年前からパタゴニア・プロビジョンズとして食品事業に乗り出した。
Forbes JAPANは、シュイナード氏の甥で、パタゴニアに1973年から関わり、シュイナード氏に近い存在として働いてきたヴィンセント・スタンリー氏にインタビュー。同氏は、『レスポンシブル・カンパニー』(ダイヤモンド社刊)をシュイナード氏とともに書いた共著者でもある。クライマーからビジネスオーナーへ、成功しているアウトドアウェアビジネスに加えて食品事業に乗り出した理由について聞いた。
ヴィンセント・スタンリー氏: timothy davis(c)2022 Patagonia, Inc.
「アウトドアウェア事業へ」のマインドシフト、ビジネスモデルシフトは
──1970年代、それまでに作って売っていたアイス・クライミングギアではなくアウトドアウェア事業に舵を切ろうと思った時のマインドシフト、ビジネスモデルシフトはどのようなものだったのか? ヴィンセント・スタンリー(以下、スタンリー):イヴォンは若かりし頃(現在シュイナード氏は83歳)、アメリカ・カリフォルニアのヨセミテで友人と共に大きな岩を登るパイオニアだった。
ヨーロッパから、岩を登る際に使うピトンを入手したが、新しいスタイルのクライミングに適した道具ではないことに気づいて、ロッククライマーのジョン・サラテ氏が開発した、登るためにより役立つ鉄のピトンにインスピレーションを得て、図書館で鍛治技術に関する本を借り、金属を鍛造し、叩いて独自のデザインのツールを開発した。
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