「業界のパタゴニアン・パパラッチ」とは…… ▶︎すべての画像を見る 日々忙しく奔走しているオーシャンズ世代にとって、家族と過ごす休日は最高のデトックス。当然、着る服もそのマインドに見合ったものが理想となる。
となれば「パタゴニア」は恰好の的。ヘムトPR・平山洋次さんの話を聞き、改めてそれを強く印象付けられた次第である。
平山洋次●絶大な人気を博した古着ショップでキャリアをスタートさせ、某セレクトショップのプレスを経たのち、2012年に独立。チャンピオン、ラッピンノット、バーンストーマーなど、シーンの重要ブランドのプロモーションを行う。
パタゴニアブームを横目に見ていた’90年代
平山さんが青春を過ごしていた’90年代半ば。思い起こせば、パタゴニアを始めとするアウトドア系ウェアは、シーンにごった返していた。潮流のひとつだっただけに、平山さんも欠かさずチェックはしていたという。ただし……。
「パタゴニアはもはや見ない日がなかったですよね。高校時代は良質な古着を掘りに毎週のように原宿界隈へ足を運んでいました。パタゴニアも、バッグやアウターなど、すごい数がありました。
特にフリースなんて、めっちゃラックに掛かっていましたしね。当時は、古着で見つけられないものをそれと似た新品で買う、みたいな逆転現象も起こっていました。それほどパタゴニア古着の市場価値は高かった。みんな、こぞって探していましたよね」。
ファッション誌を開いても、錚々たるファッション業界人たちがパタゴニアを手にしていた。
「セレクトショップの人を中心に、ファッションスナップにはパタゴニアを着ている人が必ず出ていました。着ている人はお洒落、みたいな風潮は、おそらく各編集部の間で共通していたと思いますよ」。
しかし平山さんは当初、さほど関心を示さなかったとか。
「若いときは、古着のクラシック系アウトドア特有の派手な色が苦手だったんです。アメリカンサイズが多くて、当時はなかなか合わせるイメージも湧かない。今のようにオーバーサイズで着る習慣がなかったですから。
覚えている限りだと、原宿のオッシュマンズでシェルパーカーを買ったくらいでしょうか」。
平山さんはどちらかというと他ブランドのGジャンやブルゾンが主軸で、それは、前職となる某セレクトショップのプレス時代まで続いた。
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