▶︎すべての画像を見る 「失敗から学ぶ移住術」とは…… 太陽も海も空も最高! 日本人が大好きな旅行先であるハワイ。そのハワイへ移住し、串カツ居酒屋を経営し「なんとかなっちゃったんだよね」と語る男がいる。7年前に東京からハワイへ移住した佐藤公一さんである。
今年6周年を迎えた店は、今でこそローカルに愛され、芸能人御用達の人気店である。しかしその成功の裏には日本では考えられないハワイならではの失敗があった……。
佐藤公一●47歳。漫画『NANA』(集英社)に実名で登場した「ジャクソンホール」の元店長。現在は家族4人でハワイに在住。木梨憲武や豊川悦司など著名人も通う串カツ居酒屋「フジヤマテキサス」を経営。
2000年代に映画も爆発的ヒットを記録した矢沢あいによる漫画『NANA』。
劇中、実在するダイニングバーが舞台になったが、それが東京・調布にある「ジャクソンホール」で、その元店長がこの佐藤さんだ。
カリスマ店長が串カツ屋に転身
カウボーイ文化の根付くワイオミング州の「ジャクソンホール」の町並みを再現したような店。写真=友人提供
「『NANA』が売れ始めてからは女の子のお客さんが増えて、連日長蛇の列でしたね。ジャクソンホールは本当に居心地がいい店で、最高のバイブスが渦巻いてました。スタッフと客が毎晩一緒に飲みにいくような仲でしたね。カオスでしたけど(笑)」。
当時の店内には『NANA』が飾られ、メニューも矢沢あいさん直筆のイラストが入っていた。写真=友人提供
その店は『NANA』ファンの聖地と化し、店長も一躍有名人になった。
漫画の人気だけでなく、人を惹きつけるカリスマ性もあって、連日仕事と遊びに明け暮れる日々。それが祟ってか、当時の妻と幼子とは離別、「当時は何が一番大切かわかっていなかった」とも回想している。
『NANA』がヒットし、店も連日長蛇の列ができるほど忙しかった頃の佐藤公一さん。写真=友人提供
「当時からハワイは好きで年に1、2回は通っていて、いつかハワイに住みたいと言ってたけど、そのときはただの希望でしかなかったんですよね」。
立ち上げから9年、再開発に伴って店の立退きが決定。それを機に、自分の店を構えるという最初の夢を目指し、ジャクソンホールを退職。
「店を出すなら手に職を付けようと、中目黒の串カツ屋で働き始めました。2年間そこで修行して、2011年に調布で立ち飲み串カツの店『フジヤマテキサス』をオープンしたんです」。
現在もある立ち飲み串カツ「フジヤマテキサス」。当時から海外進出を意識して看板は欧文にしたのだという。
「居抜き物件をほぼそのまま残したので、工事費も工期もほとんどかからず2〜3カ月でオープンできました。ひとりで営業できる店が良かったので、朝から夜まで働きましたが、その分人件費はいらないし、すぐに利益を出す店になりましたね」。
有言実行、即行動。エネルギッシュなカリスマは、ジャクソンホールを去ってもその求心力で店の経営は順調だった。
調布「フジヤマテキサス」店内。佐藤さんのハワイ行きを叶えてあげたい、とジャクソンホールの後輩スタッフが店を引き継いだ。
「2014年に店を休んで現在の妻と行ったハワイ滞在中、ひやかし半分で物件を見にいったんですよ。そしたら……」。
ハワイの物件はどれも初期費用が高額。店を持つなんて夢のまた夢だと悟ったが、どうやらハワイの方が佐藤さんを呼んでいたようだ。
「帰国したあとに、物件を見せてくれた不動産業者から『初期費用が安い物件が出た』って連絡が入って。『その物件、誰にも教えないでくださいね!』って、チケットを取って3日後にハワイに戻りました(笑)」。
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