サンフランシスコのランドマークともいえるゴールデン・ゲート・ブリッジの下でブレイクするフォート・ポイントをチェックふたり。
▶︎すべての画像を見る 元プロサーファーであり、現在は映画監督やメディアクリエイターと多彩な顔を持つ枡田琢治さん。
彼が息子の雷治さんと行ったロードトリップに密着取材した。
まずは旅のきっかけからお伝えしよう。
「息子にはスタイルの大切さを理解してほしい」
枡田琢治●1971年、神奈川県鎌倉市生まれ。現在はカリフォルニア州マリブ在住。元JPSAロングボードチャンピオンであり、映像、プリントなどでサーフカルチャーを発信。監督作品の『BUNKER77』はAmazonプライム・ビデオにて配信中。雷治は現在12歳で、インスタグラム(@ryjimasuda)でもそのライディングを公開している。
「今週末、僕のバースデイパーティがあるから来てくれない?」。
枡田琢治(タクジ)・雷治(ライジ)親子のロードトリップのきっかけは、息子、雷治のスケートボードの大親友、カリフォルニアのベイエリア、オークランドに住むJ.D.サンチェズからの誘いだった。
なんでも、パーティのある週末は運悪くスケートボードのコンテストと重なり、友人たちの集まりが悪く、どうしても来てほしいと、雷治は懇願されたそうだ。
「せっかくの誘いだから行こう!ということにしたんです。マリブからサンフランシスコは普通だったら飛行機で向かうけれど、サーフラインというアプリで波予想を見たら、ベイエリアに両方の角度からいいうねりがやってきそうで、しかも風も良さそう。どうせなら、板を積んでロードトリップに出るのもいいのではないかとね。
雷治が最後にサンフランシスコを訪れたのは5歳で、ちょうどカメラマンのRIPくんのスケジュールも空いていたので、シューティングを兼ねてのサーフトリップになったわけです。
雷治は今12歳で、これが小学生最後の旅となる。あと2、3年もしたら、友達だ、ガールフレンドだと、僕からどんどん離れてしまうから、今のうちに一緒にやれることがあったら、やっておきたいなと」。
マリブからサンフランシスコは距離にして600km程度。ノンストップで行けば6〜7時間のドライブだが、海岸線にサーフスポットは数多く、しかも、テスラの充電ステーションさながら、2時間も走れば気の利いたスケートボードパークも各地に点在する。
こうして、ジャック・ケルアックのビートの名著『オン・ザ・ロード』よろしく、サンフランシスコに向けてミニバンでの親子のロードトリップは始まった。
雷治にとってこのサンフランシスコは小学生最後のトリップとなった。
マリブに住む枡田琢治は映画監督、メディアクリエイター、プロロングボードチャンピオンと多彩な顔を持つ。彼が手掛けたドキュメンタリー『BUNKER77』は異端のサーファー、バンカー・スプレックルスの刹那的な生涯を描いた秀作だ。
ハリウッドの映画関係者やミュージシャンなど、エンタテインメントの才能たちが集結するマリブのコミューンの中で、ことボードライディングとなると琢治は中心的存在だ。
マリブの彼の家には週末を問わず、サーフィンを楽しみに仲間が集まる。いきおい、息子の雷治も彼のすすめでボードライドを始めるようになる。
「親バカでスケートボードだ、サーフィンだと、彼にとってはノーチョイスで押しつけてしまったけれど、知らないうちにスケートはあっという間に抜かれて、サーフィンだってもはや怪しい(笑)。ハワイのパイプラインも普通にパドルアウトするくらいですから。
僕は鎌倉出身ですが、サーフィンをしない家庭で育ちました。親父は太陽族世代で、ヨットはいいけれどサーフィンは不良のするものだという偏見があったようです(笑)。
そんな感じだから、僕のサーフィンの恩師であるハービー・フレッチャーの家族などを見ていると、とてもうらやましかった。代々サーファーの家系でサン・オノフレなどに行けば、みんなでサーフィンをしたり、ビーチでパーティをしたりと、家族総出で楽しむ。
僕もそんなビーチカルチャーの恩恵を受けてきたから、子供たちもそのコミューンの一員になってほしいという願いがありました」。
もはやスケートボードの腕前は父を超え、サーフィンもそろそろ怪しいとのこと。
サーフィンを始めた子供たちはしだいに競い合うようになるものだ。週末ごとにコンテストがあり、オリンピック種目になったこともあって、サーフシーンはよりコンペティティブに変容している。
コンテストに没入するのは子供たちだけでなく、親たちもその波に巻き込まれ、楽しいはずの毎日がしだいにギクシャクし始めることが多いそうだ。
琢治はそんなサーフシーンから雷治を一線を置いたポジションへと遠ざけることにした。
「安いトロフィーを毎週追いかけるようなリーグに巻き込まれると、スタイルにダメージが出ます。サーフィンにとってスタイルは何よりも尊いものです。
今、カリフォルニアには52週ある週末のうち40週くらいコンテストがあります。普通に学校に通っていたら、サーフィンできるのは週末だけで、その40週をコンテストの許可が取れるビーチブレイクで過ごさなければならない。
それはすごく時間がもったいないですよね。この地にはマリブ、リンコン、トラッセルズとワールドクラスの波があるにもかかわらずね。
雷治にはいろいろなブレイクやパークに行き、いろいろな人の滑りを見てほしい。もちろん、サーフィン以外のカルチャーにも触れてほしい。
重要なことはカルチャーにも触れながら、じっくりとゆっくりと自分のスタイルをつくり上げること。そこに一生かけたっていいと思っています」。
ロサンゼルスは洗練されたシティサーファーが集まるところ。特にマリブではカルチャーこそが通貨の役割をすると琢治は言う。学歴でも、財力でもなくて、カルチャーに価値がある。サーフィンがうまいだけでは一次元的で、ここでは魅力に乏しいことになるそうだ。
サーフィンもきれいでペインティングもうまい。音楽もやるけれどサーフィンもうまい。そんなコミューンに雷治は置かれている。息子にはスタイルの大切さを理解してほしいと琢治は願う。
<中編に続く>