フェルランニングシューズを創造
みずからの城を構えたノーマンはこれまで以上に精力的に靴づくりに取り組む。
陸上、ラグビー、クリケット、フットボール……あらゆるアスリートのシューズを作った彼の名声をさらに高めることになったのがフェルランニングシューズだった。
往時のフェルランニングシューズ。現行品も基本コンストラクションは変わっていない。
フェルランニングは一般的にはトレイルランといわれる種目で、フェルは日本語に訳せば“高原地帯、丘”となる。イギリスでそのレースが最初に開催されたのは1040年といわれている。
ノーマンは当時チャンピオンとして君臨していたピート・ブラントに出会ってフェルランニングの世界に足を踏み入れた。
そうして世界ではじめて、フェルランニングシューズを作った(それだけの歴史があるのに専用のシューズというものはそれまで存在しなかった。選手はラグビーやフットボールのブーツを改造して履いていたという)。
フェルランニングシューズはピラミッド型のスパイクソールとトラックスパイクをベースにしたラストを特徴とする。土踏まずからかかとにかけてはぴたりとフィットするが、つま先の可動域は十分に担保されていた。
評価したのはフェルランナーにとどまらなかった。遠征隊長としてエベレスト南西壁初登頂(1976年)を成功に導き、大英帝国勲章を受章した登山家、クリス・ボニントンが命を預けたのもこのフェルランニングシューズだった。
ノーマンはフェルランナー協会の設立にも尽力したという。
驚くべきは、誕生当時のコンストラクションを守るのみならず、いまなおアスリートシューズとして山中を走っているという事実である。
「鋭いピンだとかえってぬかるみに足をとられる。この朴訥なドットがフェルランニングにおいてはいまなお最高のスペックなのです。街で履くとツボ押しの役割を果たしてくれる、というのもポイント(笑)」(インポートシューズセレクション・サブマネージャー、小松理史さん)。
「わたしは登山が趣味なんですが、玄関から山頂までこの一足で事足りるところも気に入っています。ハードな登山靴は街中ではトゥマッチですから」(PRチームリーダー、金子礼子さん)。
ヘリテージを未来に遺すために
この歴史ある工房は1996年、ジョン・クロンプトンによって買収された。
現オーナーのジョン・クロンプトン。
ジョンは大手エレクトロニクス企業で働いていた。といっても成功者のマネーゲームではない。ジョンは職を辞して、この工房の代表に収まった。
「わたしはウォルシュの熱心な顧客でした。子供のころからずっと。このまま消えしまうのはあまりに惜しい。無謀にも買い取ったのは、ひとえにボルトンのヘリテージを残したい、という思いからでした」(ジョン・クロンプトン)。
現在の製造現場は8人の職人で構成される。62歳を頭に、下は27歳まで。バランスのとれた布陣だ。息子のジェイソンや奥さんもともに働く。
クラシカルなマシンを駆使し、裁断、縫製、底付けをする現場は創業からなにも変わっていない。
「デザインはもちろん、ラストやパターンも当時のそれを受け継いでいます。しかしそれは単なる独りよがりではありません。マーケットのニーズにもかなうと信じて選んだ道でしたが、わたしの読みは果たせるかな、正しかった」。
イギリスではポール・スミスやマーガレット・ハウエル、老舗百貨店のフォートナム&メイソンが過去、買い付けてきた。
古き良きものづくりを守らんとするスタンスが評価された格好だが、それもこれもプロダクトとしての完成度があってこそだ。日本でもドーバー ストリート マーケットなど感度の高い店の売り場に並んだ。
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