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創業者のノーマン・ウォルシュ。
創業者のノーマン・ウォルシュは終戦の年、1945年に義務教育を終えると、その足で靴業界の門を叩いた。父が靴職人だった。その背中を追ったというわけだ。
まだ14歳の少年が修業先に選んだのは、生まれ育ったボルトンのアスリートシューズ工場だった。その名は、J.W.フォスター&サンズ。リーボックの創立者、ジョー&ジェフ・フォスター兄弟の祖父、ジョセフ・ウィリアム・フォスターが立ち上げた工場だ。
ファクトリーは現在も創業の地、ボルトンにある。
ボルトンはニットやソックス、スウェットといったアパレル産業の盛んな地。J.W.フォスター&サンズはその地を代表する工場のひとつだった。
ノーマンには、はなから進学の選択肢はなかった。混乱の時代を乗り切ろうと思えばのんびり学校に通っている場合ではないと考えたとしても不思議ではない。これはのちの成功につながる性分だったが、なによりノーマンは血気盛んな少年だった。一刻も早く手に職をつける。それは当然すぎる一歩だった。
それなりに職人としての未来にも自信があった。ノーマンはワークブーツの職人だった父の手伝いで靴づくりのイロハはすっかり叩き込まれていたのだ。
そして実際、めきめきと頭角を現した。入社して数年でマスタークラフトマンの称号を与えられ、アスリート専属の職人に指名された。
ロンドンオリンピックで銀メダルを獲得した100メートル×4リレーの選手。
その名が世界に轟いたのが1948年に開催されたロンドンオリンピックだった。
ノーマンは英国代表の100メートル、ならびに100メートル×4リレーの選手が履くシューズの制作にあたった。100メートル×4リレーは銀メダルを獲得した。
ラガーマンの足元も飾った。
トップアスリートは三顧の礼でノーマンを迎えた。ロジャー・バニスターやナット・ロフトハウスが全幅の信頼を置いたのもノーマンだった。
ロジャーは世界で初めて1マイル4分を切る記録を打ち立てたスプリンターで、ナットはイングランド代表にも選ばれたボルトン出身のフットボール選手である。
J.W.フォスター&サンズ 時代にノーマンが手がけたスパイク。
ノーマンの凄みは一分の隙もないフィッティングにあったという。父親譲りのハンドソーイングは、アスリートのポテンシャルを余すことなく引き出した。
ボルトンにこの人あり、とまでいわれるようになったノーマンは満を持して1961年、ノーマン ウォルシュ フットウェアを創業した。ノーマン、30歳の歳だった。
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