中学では陸上部に所属。何も知らずに入ったところ、全国大会レベルの先輩がゴロゴロいる部活だったが、必死に食らいついて練習したところ、3年生でキャプテンに抜擢された。
「陸上の実力というよりは、リーダーシップを評価してもらったんだと思います。でも、それだと周りの強い選手がついてこない。いろいろと悩みながら、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』でマネジメントについて勉強したりしていました」。
そんな明希さんは3年生のときに足を故障する。
「よくわからないんですが、右足にもうひとつくるぶしのような突起ができまして。日常生活に支障はないんですが走り込むと痛い。だから、プレーヤーの道はあきらめて、高校の陸上部では選手じゃなくてマネージャーに専念しました」。
ほんとだ、下にもうひとつの隆起がありますね。
それほど強いチームではなかったが、明希さんの在学中にインターハイに出るほどの実力になった。
「マネージャーはサボろうと思ったらいくらでもサボれますよね。でも、選手が頑張っている姿を近くで見ていると、一緒に頑張りたいと思って。自分なりの目標を立てて、石川県の陸上部でいちばんのマネージャーを目指していました」。
放課後、練習の競技場に着いたら部員のドリンクを用意。棒高跳びの重いマットもひとりで設置する。マッサージや筋トレの知識も身に付け、最終的に顧問の先生と練習メニューを考えるまでに成長した。
「『県内でいちばんのマネージャーになる』とかは誰にも言ってなかったんですが、卒業式のあとの懇親会で、選手から『明希ちゃんは県内でいちばんのマネージャーだった』と言ってもらって泣きました」。
石川県の陸上高校総体にて(中段左端が明希さん)。
高校卒業後は上京して放送系の専門学校に入学。子供の頃に大好きだった『はねるのトびら』や『ヘキサゴン』などのような面白いテレビ番組を作りたかったのだ。
生放送の中継をする授業を受ける明希さん(いちばん左)。
上京後のアルバイトは麹町のカフェ。日テレの旧社屋が近くにあったため、芸能人もしばしば訪れる。「東京ってすごいなあ」と思いながら働いていた。
仲が良かったバイト仲間たちと(左端が明希さん)。
専門学校を卒業後は大手制作会社に就職。念願だったテレビ番組のADとして寝る間もなく働く。
「ADの仕事は多岐にわたるんです。番組の企画を考えて、ロケに行って撮影して、編集して、納品、これを全部やっていました。1週間、家に帰れないということも普通ですね」。
ADはひとり1企画担当するのが通例だが、明希さんの働きぶりが上層部に知れ渡り、どんどん声がかかる。ピーク時には4、5本の企画を同時進行で担当していたそうだ。
料理系の番組企画で手タレとして出演中。
転機が訪れたのはコロナ直前に訪れたインドロケだった。
火のついたお菓子、「ファイヤーパーン」を食べる明希さん。
明希さんは、この番組の公式Twitterの立ち上げを担当する。テレビは視聴率の縛りから逃れられないが、SNSは番組のファンと密にやりとりできるのが魅力だった。
「ADとして3年間働いて、正直、やりきったなという気持ちもありました。同時に、SNSの可能性も知ったので、去年の4月にテテマーチに転職したんです」。
入社直後にオフィスで仕事をするシーン。
「陸上部のマネージャーもテレビ番組のADも裏方というか黒子というか、そういうのが自分に向いている」という明希さんを推薦してくれたのは、プランナーの川又潤子さん。御社の看板娘、いかがですか?
「私は『lookey(ルーキー)』というZ世代向けのマーケティングを研究しているんですが、明希さんはその広報だけでなく、いろいろな取材を獲得してくれています。ベンチャー企業の広報は『私が私が』と前に出る人が多いけど、彼女はあくまでも黒子に徹して、しかも仕事ができるという素晴らしい人」。
「情報をキャッチアップする能力がすごい」と川又さん。
推薦人からナイスなコメントをいただいたところで、明希さんに社内を案内してもらった。
集中して仕事ができる個人ブース。
月に1回終業後に上田代表が開催する「Bar上田」で飲むお酒も充実。
お気に入りの目黒グルメはガヤガヤ系の居酒屋、「めぐろの安兵衛」の餃子。
サイズが小さめで皮がパリパリしていて美味しいそうです。
最近ハマっているのはクラフトビール。
柑橘系でさっぱり飲める味。野毛の「HITSUJI」。
テレビ番組のADからSNS業界に転職した明希さん。同僚から厚い信頼を寄せられていました。
最後に読者へのメッセージをお願いします。
テテマーチのスローガンは「ワクワクを科学する」。
[取材協力]テテマーチhttps://tetemarche.co.jp lookeyhttps://tetemarche.co.jp/lookey/