言葉②「何でもやればいい。過去に戻しても、結局新しいものはできない」
Q:永田さんは、00年代初頭に総合格闘技の試合で敗れ、痛烈な批判も受けました(01年のミルコ・クロコップ戦で1回TKO負け、03年のエメリヤーエンコ・ヒョードル戦で1回TKO負け)。その苦境をどのように消化し、乗り越えてきたのですか? ベルトを獲る前の年の2001年は何でも挑戦だったんですよ。その時に総合格闘技の波が結構来ていて、どうしても世の中は「永田を出そう」という動きがあって、それに乗りました。
今考えたら本当に無謀だったなと思います。でも自分が挑戦することに歯止めが利かなかったんです。
1回目(01年)に総合格闘技で負けた時は、会社のみんなも永田のそういうチャレンジ精神を見て後押ししてくれたんですよ。でも、2回目の時(03年)は、断ることが許されない中で無理矢理出場して、そんな状態ですから。
相手も強いですし勝てないですよね。そうなった時に、「永田をみんなで担ごう」という空気は、残念ながら無くなりました。
Q:「はしごを外された」状況のようにも思うのですが、どのように次のステップに切り替えていったのですか? もちろん悔しさはありましたよ。でも当時は、「力じゃ負けないぜ」っていうのはまだまだあったので、2005年くらいから若い棚橋とか中邑とかとガンガン戦うようになっていきました。
あの頃から自分のかみ殺してきた腹の底の思いを、彼らの身体に正面からぶつけましたね。
Q:苦しい時期、他の団体に移籍するなどの選択肢もあったように思います。苦境から逃げずに、アプローチを変えて再び戦っていくためには何が必要でしょうか? 自分を信じることですかね。自分の実力とかそういうものを信じるしかないですよね。「俺はまだ負けない」「まだ行ける」ってね。
やっぱりその時の流れによって、自分を殺さないといけないときもあるし、自分を存分に出せるときもあるんですよ。正直辞めようと思ったこと何度もありますよ。でもその都度、ここで辞めたら負けになると思って。
Q:レスラーとしての揺るぎない信念を持っている一方で、会場が一気に沸く試合中の「白目」や、おなじみの敬礼ポーズ、「ゼアッ」の決め台詞などでもファンの心をつかんできました。
ああやって皆さん盛り上がってくれている中に、本当に自分の中での怒りとか悔しさとか、そういう感情が織り交ざって出たものなんですよ。
本当に悔しくてつらくて、情けない思いをしてきた。それをぶつけるしかない中で、自分の中の情念から生まれたのがあれなんです。なかなか分かりづらいところでしょうけど、周りに何を言われても僕は何とも思わない。これが僕の生きてきた一つの証ですから。
Q:信念を曲げるのではなく、表現を変えることで可能性を広げることが大事だと? そうです。何でもやればいいんですよ、だから。僕はずっとそういうものと戦ってきたのかもしれないですね。
チャンピオンだった頃、「こんなの新日本プロレスらしくない」とか、「昭和の新日本プロレスみたいな戦いがいい」とか、そういう声が一部で出たんですよ。
過去に戻しても、結局新しいものはできないなっていうのは僕の結論ですね。現在の新日本の木谷オーナーが上手いこと言ったんです。「すべてのジャンルはマニアが潰す」ってね。本当にその通りだと思います。
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