言葉④「『守破離』―最後はどれだけオリジナリティ、自分の武器を持てるか」
Q:目標を達成した時、いかに次の目標を掲げ、再スタートを切るかも成長を継続していく上では重要なテーマだと思います。井上さんは「五輪で金メダル」という目標を達成した後、どのように次の一歩を踏み出したのですか? 自分自身でも満足してしまったらそれまでになってしまうので、自分自身の人生の哲学じゃないですけど、常に意識している事は、たかが1つ1つの出来事は、「道」においては半ばであったり、1つの要素にすぎないと。
それを経たうえで、次なるステージでそれを活かした上で、どのようにしてより輝けていけるかという目線を忘れずにやっていきたいなと思いました。
Q:大学4年生での金メダルです。満足感に浸ったり、甘えが出たりすることはなかったですか? 周りの環境が相当変わったことに、もちろん戸惑いはありました。金メダルを取った瞬間に周りが一気に変わりますからね。
でも、その時にありがたかったのは、自分の恩師(東海大時代の師範・佐藤宣践氏)から「お前の人生は、ここからなんだよ」と言われたことでした。次のステージで、どのように金メダリストとして生きていくか、それが現役生活においても、引退後も大事だということを説いてくださったので。
Q:オリジナリティや自分の武器を見つけるためには何が必要でしょうか? やっぱり考えることだと思います。ただ漠然とやってる人間だと、例えば指導者からの意見ということにおいても「はい。分かりました」「いいえ、分かりません」だけだったら、その能力は身につかないと思うんです。
ですので、常に、何か言われた時に「あぁそうなのか、じゃあ次はどうすべきか」とか、「その意味って何なのか」というものを考える力がないと切り開いていけるものじゃないし、その能力は身につけていけれるものじゃないかなと思います。
Q:井上さんの場合は、引退後の英国への留学が、視野を広げ、考え方を変える大きなきっかけになったと聞きました。 留学は、監督としても、次の人生に歩むことにおいても分岐点だったと思います。留学先で、自分って何も知らないんだな、無力なんだな、と強烈に感じました。
海外に行ったら、語学もあまりできなくて、宗教についても、政治についてもほとんど話せることがなくて。そういう環境で、あたふたしてる自分がいたりして、自分は実は何の力もない人間だなってすごく感じたんです。
でも、私は基本的にポジティブな人間なので、「俺、伸びしろあるな」って思ったんです。まだまだ成長できるなって。
留学先での経験は、チャレンジすれば、これからも、いくらでも成長できるんだということをもう一度思い出させてくれた大きなきっかけでした。
Q:全日本柔道連盟の強化副委員長という新たなポジションに就かれました。柔道の普及という面にも大きな期待がかかっていると思います。井上さんの今後の目標や夢、描いている未来を教えてください。 私は生きている以上は、道を追求していきたいと思っています。
現役時代にオリンピックチャンピオンになりました。世界チャンピオンになりました。これは、私の人生において、道の一部に過ぎません。
大事なのは、果てしない死ぬまでの道のりをどう自分というものの存在価値を使った上で、社会に活かしていけるような仕事ができていけるか。ここが、自分自身の中での価値観でもあります。
ですから、監督が終わって「終わりましたね」と言われても、もう次なる戦いにすんなりと、また足を運んでいっている感覚が強いなと思っています。それが生きがいでも、やりがいでもあるので。
その心を忘れずに、これからもやっていきたいと思っています。
[Profile]井上 康生(いのうえ・こうせい)1978年(昭53)5月15日、宮崎市出身。5歳から柔道を始め、東海大相模高、東海大に進学。00年シドニー五輪100キロ級金メダル。04年アテネ五輪では日本選手団主将を務めた。08年に現役引退後、指導者研究で英国に留学。12年11月に男子代表監督に就任し、21年の東京五輪後に任期満了で退任。現在は日本柔道連盟強化副委員長を務める。得意技は内股と大外刈り。183センチ。