当記事は「FLUX」の提供記事です。元記事はこちら。 パンデミックによって住み慣れたニューヨークを飛び出したクリエイティブなカップル、ミッチェル・クガさんとアダム・J・カーツさん。アート、ワークライフバランス、島での新生活について、くつろぎながら語った。
2020年にニューヨークからオアフへ越してくる前、ミッチェル・クガさんとアダム・J・カーツさんは、クガさんの故郷に移ることについては話し合っていたが、9カ月もの間、クガさんが育った家で彼の両親と一緒に生活することは想像すらしていなかった。今となっては、この出来事が願ってもない休息になったと感じている。
思いがけず家族が再びつながり、ふたりのソロプロジェクトも新たに実現した。手掛けている本を手に、クリエイティブなカップルが、パンデミック禍におけるものづくりのプロセスや制作について、困難だと感じること、悟ったことを率直に語った。
ミッチェル・クガ(以下M) 僕にとって故郷に戻ることはずっと頭痛の種だったんだ。でも、今回はいろいろな面で本当に特別だと思う。
アダム・J・カーツ(以下A) 僕も感じている。大人として故郷に戻ってきたけど、いちばん驚いたことは?
M 以前とは違って、ありのままに快適に過ごせていること。ゲイでいられる、つまり自分自身でいられることに驚いている。君がこの家にいるおかげってこともあるね。自分自身でいることにたくさん苦しんだ子供時代を過ごした場所だから。
A 190cm近い白人の夫が島中で君について回るんだもの、隠れているのは難しいよ。まったくの無駄。それと君の装いがちょっと変わったように思う。振る舞いも少し。まぁ、どちらにしても、今まで以上に君らしいよ。年齢も重ねて。
パンデミックの最中に、ふたりはニューヨークからハワイにあるクガさんの育った家に引っ越した。
M 確かに年は取ったな。引っ越す前、僕らは8年間、毎年休暇としてハワイに遊びに来ていたけど、最初の旅で何か覚えていることはある? この地を熱帯の楽園として先入観を持つような人ではなかったと思うんだけど。
A (笑)僕らが出会った頃、ハワイがポストカードに描かれているような場所じゃないんだと、君は懸命になって伝えていた。ハワイは「パイナップル、サーフボード」じゃないと僕に知ってもらいたがっていたことは早い段階からわかっていたよ。
M それってサーフボードの種類なの?
A 違うよ。たいていのハオレ(非先住民)が考えるハワイを、パイナップル、サーフボードと簡単に表現しただけ。今はもうポキ(生魚)についてもわかるよ。8年前は知らなかったけど。
ときどき、立ち止まって「ホノルルに住んでいる」ことを考えると、正気だとは思えないんだ。笑っちゃうよ。だって、君に出会わなければ絶対に来てないだろうから。僕の関心の的には入ってなかった。でも、実際にこうやって来て良かった。愛しているからという理由でここに来たことに意味がある。
「なんて美しいところなんだ。海に恋したよ。ここに越してきて、カイルアあたりでハワイ土着のクラフトなんかを売っている店を開くんだ、白人だけど」って言うよりもずっといい。
M まぁ、君にだってまだその時間はあるけどね。
フリーライターのクガさん。子供の頃に使っていたベッドで仕事をしている。
A 君だってハワイ、特にホノルルについて、今の僕らが経験しているのとかなり違ったふうに捉えていたよね。ひとりの10代の青年として、「ここはゲイでいられるような場所じゃない。本土に行って、自分の居場所を見つけて、自分らしくありたい」と考えていた。
そして、ここはブルックリンじゃないけど、実はけっこうゲイがいるんだ。クィアな人たちもそこら中にいる。ひとくくりにはできないし、ニューヨークのウィリアムズバーグあたりなら見かけそうなドクターマーチンのブーツを履いたり、短パンを着たりもしていない。でも、セーフウェイのデリカウンターにもいるし、ショッピングモールにだって目立つクィアがいるよ。僕らはここで堂々としているよ。
だんだんわかってきたことなんだけど、ハワイに関する僕の理解は、ほとんど君が僕に話したことを通じて得たものだと思う。そして忘れなくてはならなかったのは、君のハワイに対する見方がここで10代を過ごしたことに根差していることだね。
M 間違いない。
引っ越し後も、クガさんはライターの仕事を続け、『ビルボード』誌のプライド特集の表紙を飾った。
2/2