当記事は「東洋経済ONLINE」の提供記事です。元記事はこちら。映画『シュレック』をご存じだろうか。見た目は恐ろしいが、心優しい怪物・シュレックが主人公の物語である。
その怪物の名を掲げ、格闘家・プロレスラーとして活躍する人物がいる。関根“シュレック”秀樹さんだ。
身長174センチ・体重113キロの肉体、ぎょろりとした眼差し、もじゃもじゃの髪の毛……まさにシュレックさながらのド迫力である。
そんな彼は、警察官として20年以上働き、43歳にして格闘家へ転向した。47歳の今も現役である。安定したキャリアを捨て、無謀にも思える選択をした理由は何だったのか。
いじめっ子たちをやっつけたくて
関根さんは1973年、静岡県磐田市で生まれた。家から少し足を延ばせば山や川があり、自然のなかで遊ぶのが日課だった。
4歳のとき、川遊びに行った帰りに交通事故にあい、右足がちぎれかけるほどの重傷を負う。手術で何とかつながったものの、足はどす黒く変色。思いどおりに動かすこともできず、引きずって歩くように。小学校に入ると、上級生から「気持ち悪い」と足を蹴られるなどのいじめを受け、負けん気の強かった関根さんは柔道場の門をたたいた。
「いじめっ子たちをやっつけようと思って、小2のときに柔道を始めたんです。わりとすぐに強くなりましたね。もともと運動神経がよかったのもあったけど、あいつらを絶対に倒す、っていう目的があったからだと思います。何となく習いに来ている子どもたちとは気構えが違いました」。
たちまち頭角を現した関根さん。いじめっ子を退けるどころか、数々の大会で優勝をさらうように。中学・高校でも柔道に打ち込んだ後、柔道の名門である山梨学院大学に進み、「肉体の限界を超えた苦痛」と振り返るほど、厳しい練習漬けの日々を送る。道場では、立っている時間より、空中を舞うか、畳にねじ伏せられているほうが長いこともあった。
一方で、柔道部の同級生に熱狂的なプロレスファンがおり、その影響で関根さんもプロレスにハマっていった。
数あるプロレス団体のなかで、関根さんをとくに魅了したのがUWFインターナショナルだ。エンタメ要素を排除した、緊張感のある真剣勝負に胸を躍らせた。大学卒業後は同団体に入門することを熱望したが、父親は猛反対し、警察官になるよう説得された。
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